はじめの1歩

子育て終了、時間と心の余裕が出来たのでイロイロ手を出してみます。

いずれ行く道?

少し年上の知人のお話です。

 

『母に悪いことしちゃったなあ‥。』

妹さんより電話があって、話の流れから今は亡き母の話になって思わず懺悔の涙がこぼれちゃったのよ‥という知人のお話なんですが‥。

その方の母上様、ある時から、いわゆる『えへん虫』を追い払う様な咳払いを頻繁にする様になったんですって。

それを妹さんが鬱陶しく思ったり、また他人に不快な思いをさせそうという心配からその都度注意していたのですが、一向に改めてくれません。

そのうち、ホントむかつく‥という気持ちになり、キツい口調で注意するようになったのですが、母上様は曖昧な笑みを浮かべるだけだったので、これだから年寄りは嫌だわ‥と諦めていたそうです。

それからかなりの時が経ち、妹さん自身が母と同じように頻繁に咳払いをしていることに本人が気が付きました。

あの時の母は、注意されても直すことができないほどの喉の不快感があったんだ‥とやっと分かって涙が溢れて仕方ないと、姉妹でしみじみ語りあったそうです。

その少し年上の知人、普段はさいたまから湘南新宿ラインに飛び乗って都内の美容室にカットしに行くほど、元気でオシャレな方。

でも、最近いきなり立ち上がると膝が痛いのよ‥とか、この日はちょっと弱気モードでした。

その場にいた私を含めて他の方々も、核家族で暮らしてきたので、お年寄りの生態?ってわからないよね‥と、それぞれに思いあたる節があるみたいでした。

 

『じいちゃんごめんね。』

そういえば、夫も似たような事を言っていたのです。

『最近、涙や鼻水が唐突に出るんだよね‥。』と。

花粉症の鼻水みたいに透明な鼻水がツツーッと出てきたり意味なく涙目になっていたり‥。

コロナ禍前までお墓参りの為に年に一度は我が家にやってきて滞在していた私の実父(じいちゃん)。

しょっちゅうティッシュで鼻水や涙を拭いていました。

夫は内心花粉症だと思っていたので、ちゃんと薬を飲めばいいのに‥と、ちょっと不快に思っていたそうです。

でも、最近自分もそんなに頻繁ではないけれど唐突な鼻水と涙の存在に気がついてしまって、ちょこっとショックを受けているようです。

じいちゃん(実父)に関して言うと、年々食事マナーが悪くなっていることが気になっていました。

食事中に左手をテーブルの上に出していないのですごく姿勢が悪いのです。

私達が子供の頃は、食事中に左手をテーブルの下に下ろしていたら注意されていたのになあ‥と、少しモヤモヤしていました。

だけど、じいちゃんだけでなく世の中のお年寄り、左手を下ろして食事をしている姿を結構見かけます。

もう、マナーとか、姿勢が悪いとか、そこまで気が回らなくなるのかなあ‥。

年を取ると遅かれ早かれそうなるのかなあ‥。

 

私の母も、夫の父も60代で病気で亡くなっているし、核家族で育ってきたので、どんな風に年をとっていくのか、身近なモデルが居ないのでイメージができないのです。

だから、自分がある程度の年齢になって、内心かっこ悪いなあ‥という眼差しを向けていたことを自分がやっていることに気がついた時って、ショックと同時に今までの反省Timeになりそうです。

 

ふと思い出したのが、『子供叱るな、来た道だもの。年寄り笑うな、行く道だもの。』

‥これ、なんとなく聞いたことがあって、調べてみたら、永六輔氏の『無名人名語録』という本に出てくる言葉なんだそうです。

愛知県の犬山の街で。

その街角の掲示板のビラにたどたどしい文字で書かれていた文章で、署名もありません。

そんな巷に生きる無名人が残した名言、格言などの傑作を集めたのがこの本です。

核家族のワンオペ育児だったり、老々介護状態だったら、とても思いつく言葉ではないけれど‥。

『子供ってこういう生き物だから仕方ない‥。』と、多少のイタズラは笑ってやり過ごすことができる心の余裕も大人の目が複数あればこそだと思いつつ‥。

お年寄りが多少トンチンカンなことをしていても、『そういえば、じいちゃんがこんなことしていたな‥。ばーちゃんが、こんなことぼやいていたなあ‥。』なんて、心の隅に残っていれば『しょーがないなあ‥。』という気持ちになって、自分の近未来も想像出来て多少の覚悟もできそうな気がします。

これには続きがあるようで、『来た道行く道二人旅、これから通る今日の道、通り直しのできぬ道』

これは、結婚後のことなんでしょうね。

結局、人生1度きり。人生いろいろあっても自分が納得できる道を歩んでいきたいなあ‥などと、しみじみ思うのでした。

 

 

 

ムクゲの花。体温並みの暑い日々がやって来ました。今年は隣街は雷雨なのに、うちの近辺は降りません。