はじめの1歩

子育て終了、時間と心の余裕が出来たのでイロイロ手を出してみます。

ありがとうは魔法の言葉。

じいちゃん(私の父のことです)が亡くなり、葬儀は滞りなく終わりました。

喪主は弟だったので、私達夫婦は参列するだけだったのですが、なんだか一仕事終えた気分になっています。

 

じいちゃんは、もともとは東京の人間ですが、母が亡くなった後、一人暮らしをしたのち、名古屋で生活基盤を整えていた弟ファミリーと同居しました。

親戚兄弟全員東京(関東圏)だったので、本人は渋々というポーズだったし、周りも大丈夫かな‥と思いつつの同居でしたが、弟夫妻の頑張りのおかげで、本人は幸せな名古屋ライフを送ったのではないかな‥としみじみ思いました。

勿論、良いことばかりではなく、じいちゃん、弟夫妻、それぞれが文句を言い合うこともあったのですが、入院した最後の病院では、特に亡くなる一週間前ぐらいからは、じいちゃんに関わってくれる人全てに、入れ歯を外して不明瞭な発音ながら、お礼の言葉を言っていたというので、本人は幸せな人生の幕引きが出来たんだなあ‥と、思います。

 

😊ありがとうは魔法の言葉。

スピリチュアル系の本のタイトルみたいですが、『ありがとう』は、人を癒します。

じいちゃんの最期の時間に1番長くそばに居てくれたのが義妹のYちゃんです。

彼女は、本当にじいちゃんの為に色々と動いてくれていて、まさに転ばぬ先の杖でもあったので、じいちゃんはちゃんと『ありがとう』を言葉で伝えたのかなあ‥と、ずっと気がかりでした。

Yちゃん曰く、何度も言ってくれたそうで、逆にもうお別れが近いんだと涙がこぼれたそうです。

また、じいちゃんは『外面良し男』的なところがあったので、看護師さんはじめ、デイサービスや短期間だけどお世話になった特養の職員さんには、こまめに感謝の気持ちを伝えていたようで、亡くなったことを伝えると、あんな良い方が‥と、皆さん好意的な言葉と共にお悔やみの言葉をかけてくれたそうです。

半分は社交辞令だとしても、晩年のじいちゃんは幸せだったんだね‥と、しみじみ弟と話しました。

まさに『ありがとう』は、魔法の言葉だし、癒しの言葉だなあ‥。

 

😊上機嫌に生きる。

Sちゃん、姪っ子ちゃんの息子の2歳児です。

じいちゃんの葬儀の際に久しぶりに会いました。

前回会ったのは、まだふにゃふにゃな赤ちゃんの時だったので、スタスタ歩き、片言のお喋りもかわいく、大きくなったね‥と、思わず頬が緩みます。

現在、恐竜にハマっていて、恐竜絵本、恐竜グッズがお気に入り。

もう、この子が周りの全ての大人の心を鷲掴みにするほど可愛いのです。

他所の子供にあまり興味のない夫までもが、たまたまテレビ番組で恐竜を取り上げいると『Sちゃんも見てるかな』なんて、いきなり話題にするほど。

思わずよってたかって可愛がってしまうという表現がぴったりなほど、プリティー光線ダダ漏れです。

何が可愛いかって?

子供本来の可愛いさがベースにあるんだけど、この子、いつも上機嫌で、好奇心の塊で、全身から生きている喜びが溢れているというか‥。

勿論2歳児なので、眠くなればちょっとはぐずりますが‥。

これ、大人だって、当てはまりますよね。

上機嫌な人がそばにいるだけで、周りの空気も明るくなるし、いつも上機嫌でいられるようにしていたいなあ‥。

せめて人前で不機嫌な顔しないようにしなくっちゃ‥なんて、2歳児から教えてもらった気分です。

 

😅親の死に目に会えなかった?

親の死に目に会うことを未だに世間では重視しているように思うことがあります。

実際、じいちゃんがいよいよ危ない‥という雰囲気になった時、弟はいつでも泊まりに来ていいから‥と、言ってくれました。

義妹も極力、すぐに動けるように毎日スタンバイしてお見舞いに通っていましたが、

じいちゃんは、回診と回診の間をぬって1人で天国に逝ってしまいました。

そのことを病院の方も死に目に会えなくて申し訳ない‥というニュアンス含めて連絡してくれたようです。

でも、ご臨終に立ち会えなくても、それまでにちゃんとコミニュケーションが取れていて、本人にとって穏やかなご臨終であったのなら、それでいいよね‥。

‥と、言いつつも私、最後にまともな会話をしたのはいつだったかな‥と、ちょっと寂しく思う気持ちもあります。

ちなみに、親の死に目に会えないのは親不孝‥みたいな意味で使われることが多いのですが、

本来の意味は親より先に死ぬことが最大の親不孝ということのようです。

実際に親が死に瀕している時の話ではなく、子供が親より先に死んでしまうことを言っているのだそうです。

 

😅遺影探し。

遺影用の写真を探すのが意外と大変でした。

95歳ということもあり、5年ぐらい前の写真では、ちょっと若すぎ(?)だし‥。

直前までコロナ禍だったこともあり、そもそも写真も少なく、高齢になると余計撮っていないんです。

デイサービスや、特養の行事で直近の写真はあっても、正面を向いていない‥とか。

結局、4年前の姪っ子ちゃんの結婚式の時に撮った写真に落ち着きました。

きっちりデジタル処理をしてくれて、なかなか良い遺影になったと思いました。

振り返って私達夫婦、縁起でもないけれど今遺影が必要になったら、かなり困る‥。

普段スマホで写真を沢山撮っているけれど被写体は綺麗な景色か、美味しそうな食べ物ばかり。

たまに、写真を撮ってあげたり自撮りしても、変な顔したタイミングだったりして‥。

ナルシスト臭が漂ってもお気に入りの写真を1枚でも準備出来るように意識しておいた方がいいかもしれません(笑)。

 

 

 

 

 

 

その昔、母の葬儀の時も八重桜が満開でした。