はじめの1歩

子育て終了、時間と心の余裕が出来たのでイロイロ手を出してみます。

ありがとうは魔法の言葉。

じいちゃん(私の父のことです)が亡くなり、葬儀は滞りなく終わりました。

喪主は弟だったので、私達夫婦は参列するだけだったのですが、なんだか一仕事終えた気分になっています。

 

じいちゃんは、もともとは東京の人間ですが、母が亡くなった後、一人暮らしをしたのち、名古屋で生活基盤を整えていた弟ファミリーと同居しました。

親戚兄弟全員東京(関東圏)だったので、本人は渋々というポーズだったし、周りも大丈夫かな‥と思いつつの同居でしたが、弟夫妻の頑張りのおかげで、本人は幸せな名古屋ライフを送ったのではないかな‥としみじみ思いました。

勿論、良いことばかりではなく、じいちゃん、弟夫妻、それぞれが文句を言い合うこともあったのですが、入院した最後の病院では、特に亡くなる一週間前ぐらいからは、じいちゃんに関わってくれる人全てに、入れ歯を外して不明瞭な発音ながら、お礼の言葉を言っていたというので、本人は幸せな人生の幕引きが出来たんだなあ‥と、思います。

 

😊ありがとうは魔法の言葉。

スピリチュアル系の本のタイトルみたいですが、『ありがとう』は、人を癒します。

じいちゃんの最期の時間に1番長くそばに居てくれたのが義妹のYちゃんです。

彼女は、本当にじいちゃんの為に色々と動いてくれていて、まさに転ばぬ先の杖でもあったので、じいちゃんはちゃんと『ありがとう』を言葉で伝えたのかなあ‥と、ずっと気がかりでした。

Yちゃん曰く、何度も言ってくれたそうで、逆にもうお別れが近いんだと涙がこぼれたそうです。

また、じいちゃんは『外面良し男』的なところがあったので、看護師さんはじめ、デイサービスや短期間だけどお世話になった特養の職員さんには、こまめに感謝の気持ちを伝えていたようで、亡くなったことを伝えると、あんな良い方が‥と、皆さん好意的な言葉と共にお悔やみの言葉をかけてくれたそうです。

半分は社交辞令だとしても、晩年のじいちゃんは幸せだったんだね‥と、しみじみ弟と話しました。

まさに『ありがとう』は、魔法の言葉だし、癒しの言葉だなあ‥。

 

😊上機嫌に生きる。

Sちゃん、姪っ子ちゃんの息子の2歳児です。

じいちゃんの葬儀の際に久しぶりに会いました。

前回会ったのは、まだふにゃふにゃな赤ちゃんの時だったので、スタスタ歩き、片言のお喋りもかわいく、大きくなったね‥と、思わず頬が緩みます。

現在、恐竜にハマっていて、恐竜絵本、恐竜グッズがお気に入り。

もう、この子が周りの全ての大人の心を鷲掴みにするほど可愛いのです。

他所の子供にあまり興味のない夫までもが、たまたまテレビ番組で恐竜を取り上げいると『Sちゃんも見てるかな』なんて、いきなり話題にするほど。

思わずよってたかって可愛がってしまうという表現がぴったりなほど、プリティー光線ダダ漏れです。

何が可愛いかって?

子供本来の可愛いさがベースにあるんだけど、この子、いつも上機嫌で、好奇心の塊で、全身から生きている喜びが溢れているというか‥。

勿論2歳児なので、眠くなればちょっとはぐずりますが‥。

これ、大人だって、当てはまりますよね。

上機嫌な人がそばにいるだけで、周りの空気も明るくなるし、いつも上機嫌でいられるようにしていたいなあ‥。

せめて人前で不機嫌な顔しないようにしなくっちゃ‥なんて、2歳児から教えてもらった気分です。

 

😅親の死に目に会えなかった?

親の死に目に会うことを未だに世間では重視しているように思うことがあります。

実際、じいちゃんがいよいよ危ない‥という雰囲気になった時、弟はいつでも泊まりに来ていいから‥と、言ってくれました。

義妹も極力、すぐに動けるように毎日スタンバイしてお見舞いに通っていましたが、

じいちゃんは、回診と回診の間をぬって1人で天国に逝ってしまいました。

そのことを病院の方も死に目に会えなくて申し訳ない‥というニュアンス含めて連絡してくれたようです。

でも、ご臨終に立ち会えなくても、それまでにちゃんとコミニュケーションが取れていて、本人にとって穏やかなご臨終であったのなら、それでいいよね‥。

‥と、言いつつも私、最後にまともな会話をしたのはいつだったかな‥と、ちょっと寂しく思う気持ちもあります。

ちなみに、親の死に目に会えないのは親不孝‥みたいな意味で使われることが多いのですが、

本来の意味は親より先に死ぬことが最大の親不孝ということのようです。

実際に親が死に瀕している時の話ではなく、子供が親より先に死んでしまうことを言っているのだそうです。

 

😅遺影探し。

遺影用の写真を探すのが意外と大変でした。

95歳ということもあり、5年ぐらい前の写真では、ちょっと若すぎ(?)だし‥。

直前までコロナ禍だったこともあり、そもそも写真も少なく、高齢になると余計撮っていないんです。

デイサービスや、特養の行事で直近の写真はあっても、正面を向いていない‥とか。

結局、4年前の姪っ子ちゃんの結婚式の時に撮った写真に落ち着きました。

きっちりデジタル処理をしてくれて、なかなか良い遺影になったと思いました。

振り返って私達夫婦、縁起でもないけれど今遺影が必要になったら、かなり困る‥。

普段スマホで写真を沢山撮っているけれど被写体は綺麗な景色か、美味しそうな食べ物ばかり。

たまに、写真を撮ってあげたり自撮りしても、変な顔したタイミングだったりして‥。

ナルシスト臭が漂ってもお気に入りの写真を1枚でも準備出来るように意識しておいた方がいいかもしれません(笑)。

 

 

 

 

 

 

その昔、母の葬儀の時も八重桜が満開でした。

 

大往生。(備忘録)

じいちゃん(私の父のことです)が、亡くなりました。

 

 

4月8日、病院より血中酸素濃度が低下して酸素マスクを装着したとの連絡を受けたと、弟より聞きました。

95歳という年齢なので直ぐにどうにかなるわけではないそうですが、もうカウントダウンだと思いました。

最後に会いに行こうと思うものの、新幹線の距離だし、病院の管理も厳しく面会時間も短く、しかも毎日1組限定です。

またこんな時に限ってちょっと身動きがとれません。

そんな事情もあり、義妹のYちゃんがお見舞いに行く度にLINEのビデオ通話を繋いでくれていました。

変な話ですが思いの他、元気なんです。入れ歯を外しているので発音が不明瞭ながらも会話が出来るし、手も振ってくれました。

もうすぐ病気で亡くなった母の23回目の命日なんですが、数日前から命日はいつだっけ?と頻繁に聞いていたそうです。お揃いの命日になるように頑張るつもりなのかなあ‥と、Yちゃんと噂してみたり‥。

4月11日、じいちゃんがお汁粉を食べたい‥とずっと言っていたので、Yちゃんはこっそりお汁粉を病室に持ち込み、医療用のビニールの手袋の指先に少し付けてじいちゃんの上顎につけたそうです。でも、しばらくすると激しく咳き込んでしまいナースコール。やっぱり、ほんの少しでももう嚥下出来なくなっているんですね。

すぐに落ち着いたし、バレていたかもしれないけれどお咎めなしだったので、ほっとしたなんて言っていました。

 

そして4月12日、朝6時半の時点では、確実に息があったのに、次の回診の8時時点では息がなく、その間に、穏やか息を引き取ったと、病院から連絡があったとのことでした。

Yちゃんにとっても不意打ちだったようで、この日に限っていつも朝1番でお見舞いに行っていたのに用事を片付けてから行くつもりだったそうです。

私は私で、13日が母の命日なので、何の根拠もないけれど13日までは頑張ってくれるという前提で、弾丸名古屋往復を考えていたところでした。

結局、1人で病院のベットで静かに逝ってしまったんだなあ‥と、思うと、ちょっと可哀想な気もしましたが、眠るようにそのまま息を引き取ったと思われる‥というのも苦しい思いをしながらの最期ではないので悪くはないのかな‥と、思ってみたり‥。

‥と、いうことで、バタバタとお通夜、お葬式と、済ませて来ました。

 

10年以上前に義母のお葬式を家族葬で行いましたが、その時から既に火葬場の待ちがかなりあり、当時で1週間以上待たされた記憶があります。

なので、ここ数年、多死社会と言われるほどなので、きっとかなり待たされると思っていましたが、意外にすんなりと葬儀スケジュールが決まりました。

家族葬形式で、弟ファミリーと、私のファミリーだけで行うつもりでしたが、じいちゃんの1番下の弟夫妻が参列を申し出てきました。

1番下の弟といっても80代後半です。会場は名古屋の外れだし、その夫婦は横浜在住なので負担が大きいことでしょう。

それを思い家族葬にしたのですが、半分押し切られる形で来ていただくことになりました。

我が家からは、長男は年度始めは休みにくいのと姫路在住ということもあり欠席、次男は行くつもりで前日に我が家まで来て翌日一緒に出発の予定でしたが、いきなり高熱でダウン。

可哀想だけど、自宅にトンボ帰りしてもらいました。彼も4月の中旬ぐらいまで、かなりの繁忙期で残業続きだったので、疲れがかなり溜まっていたようでした。

息子達は、過労気味になると、いきなり高熱でダウンということが多かったので、多分コロナではない‥と思い、休養第一にして貰いました。

結局、我が家は私と夫で参列しました。

 

4月14日、今回も荷物が多いこともあり、車で名古屋へ。

日曜日に遠出をすることがなかったので、渋滞が不安でしたが、トラックが殆ど居ないので、むしろ空いているぐらいでした。それでも途中事故渋滞に巻き込まれて、ランチ休憩込みで約6時間のドライブでした。

斎場にはお通夜の2時間前に到着して、弟夫妻、久しぶりにその子供世帯にも会い、ほのぼのとした空気も味わいました。

お通夜は、お坊さんがお経をあげておしまいでした。

義母の時は、その後にしみじみとした講話があったのですが、そうした話は一切なくあっさりしたものでした。

その後は、みんなで仕出し弁当を食べて解散しました。

私達夫婦だけ、その斎場の宿泊施設を利用させてもらいました。

翌日は朝一番で、お葬式、出棺というスケジュールでした。

その後火葬場へ向かい、小一時間で、じいちゃんは骨だけになってしまいました。

待っている間に、ちょっと豪華版のお弁当が用意されていましたが、、私にしては珍しくお残ししてしまうほど、なんだか精神的に疲れてしまいました。

そして斎場に戻り、初七日の法要を済ませました。

全日程に来て下さったお坊さんは葬儀社が手配してくれたのですが、本当にお経を読むだけでした。

普段の生活では、こういったことは意識することもなく宗派すら分かっていないので、お経について少しでも解説してくれたらいいのになあ‥。

宗派、土地柄、お坊さん個人の性格によっても様々なんでしょうが、こうして一連の葬儀を終えました。

弟宅に立ち寄り、着替えと小休憩を取らせてもらい、15時過ぎには、名古屋を出発し、埼玉へと帰路に着きました。

途中、3件の事故渋滞に巻き込まれましたが、発生初期だったのか、意外と早く渋滞から抜け出すことはできましたが、約5時間のドライブとなりました。

 

今回、自分でも意外なほど涙が溢れてしまいました。

父との関係は特別に良いというわけではなく、悪くもなく‥で、私の目にはマイペースな人に映っていたし、95歳という年齢を思うと、男性でここまで大きな病気もせずに天寿を全うしたのだから、逆にめでたいぐらいかも‥という気持ちもありました。

でも、棺に収められた姿を見て、触ると冷たくて、そして骨になった姿を見ると、『ああ、もうこの人は居ないんだ‥。』という実感が涙ともに溢れてきました。

今回、親との関係、親戚との関係、兄弟との関係‥。今まで見えていなかったこともたくさんあったことにも気がつきました。

自宅に帰って、ホッとすると疲れが一気に押し寄せてきて、一晩眠ったぐらいじゃ回復できず、私自身もばーさん道を更に進んだなあ‥と、しみじみ思っています。

 

 

 

 

 

帰宅すると、庭のチューリップが咲き誇っていました。

 

 

 

 

 

桜パトロール、大宮公園。

今年の桜はかなり遅くなりましたが、満開です。

天気予報では、この先しばらくは晴れマークがついていないのが残念です。

でも、今年の入学式は満開の桜や、花吹雪が期待出来そうですね😊。

うちの近隣には大きな公園が幾つかあるので、朝から道路は混んでいました。

‥というわけで、ちょっと頑張ってウオーキングで桜チェックに行って来ました。

大宮公園です。

埼玉県では、有名なお花見スポットです。

コロナ禍では、露店が消え、お花見宴会禁止になり、それがだんだん緩んできました。

露店が並び始めました。

今日は、じっとしていると肌寒い気候でした。

かき氷の露店も出ていましたが、さすがに開店休業状態です。

この季節は晴れれば、商売繁盛だった思うので、ちょっとかわいそうです。

かつての大宮公園の桜の季節は、所狭しとレジャーシートが敷かれ、車座になって宴会状態のグループで足の踏み場もないほどでしたが、まだそこまでは回復していません。

のんびり歩いて桜を楽しむ人の方が多いようです。

それでも、久しぶりの人出という感じでした。

晴れていたら、なかなか、フォトジェニックな場所なんですが‥。

今年の桜は、桜の木の足並みが揃っていなくて、ちょっと迫力に欠けるような気もしました。

今週後半は、天気が回復するようなので、持ち堪えてくれるといいなあ‥。

 

 

大宮公園に隣接する弓道場です。

今日は練習が行われていました。

ここから、JR土呂駅方面に向かいます。

この写真の背中側に、踏切(盆栽踏切)が、あります。

この季節は、電車の向こうにこの桜並木を入れる構図が映えるので、立派なカメラを担いでいる撮り鉄さんをよく見かけますが、今日はこの天気なので、いませんでした。

ちなみに盆栽踏切といっても、至ってフツーの踏切です。

このあたり地名が盆栽町なので‥ということです。

 

この後は近所のスーパーに寄って、昼食用におはぎを買って帰宅しました。

今年の桜は、こんな感じでした。

おしまい😊。

今度はドアホンです。

築30年の我が家、またもや家電も含めて色々とガタがき始めました。

昨年あたりから、ウオシュレットが壊れたり、汚水マスの中で、何故か木の根っこが成長してトイレが詰まったり‥。

つい最近では、テレビを買い換えたばかりです。

次は、ドアホンの調子が悪くなってきました。

会話の途中で、勝手に切れてしまうのです。

こちらが用事がある方なら、外に出ていけば良いのですが、よくわからないセールスでも、いきなり中断されると感じ悪いですものね。

うちのドアホンは最初は、映像はなく音声だけのタイプでしたが、

2代目は17年前にリフォームした際に、映像で確認出来るタイプに変えてもらったものです。

それが調子が悪くなってきたのです。

きっとドアホンからのSOSだと思って、完全に壊れる前に交換することにしました。

 

 

早速、ホームセンターや家電量販店に見に行って来ました。

少し前に、オレオレ詐欺の新業態(?)の、寄せ集め強盗事件が頻発したせいか、商品は色々と工夫されていました。

まるで留守番電話のような自動音声対応やら、ボイスチェンジャー機能とか‥。

女性だけが在宅だと思われると、押し込み強盗に遭う心配もしなくてはならない嫌な世の中になったのかもしれません。

また、登録したスマホで、外出先から応対できるものまであり、色々な生活パターンを考えているのでしょう。

ドアホンも、賢く進化していましたが、使う方はあまり賢くないので(笑)、沢山の機能が付いていても宝の持ち腐れ状態は必至。

映像がクリアに見えることと、現在のドアホンは結構死角があるので、広範囲を確認出来ることだけに絞って、商品を選びました。

我が家の場合は、機器の交換だけなので工事費は殆どかからず、約40000円でお釣りがくる感じでした。

自宅のドアホンを交換したばかりのせいか、他所様のお宅のドアホンにも自然と関心が向かいます。

Panasonic製のシェアが高いというか、殆どPanasonic製ですね。

売り場でも、殆どPanasonic製ばかりで、他社製品は1つか2つという感じでした。

夜になると、呼び鈴を押されると、明かりが点き、よく見えるようになっています。

ただ雨粒には弱く、雨粒が玉状に付いて、その影になってしまいよく見えません。

 

 

‥と、ここまでが、3月上旬のお話ですが、つい最近、このドアホンの威力を発揮する出来事がありました。

平日の昼下がりのことです。

ピンポーン♪と、呼び出し音が鳴るので、夫が応対すると‥。

『近くで工事をしている者ですが、よろしいでしょうか?』

『要件は何ですか?』と、夫。

『余計なお世話かもしれませんが、屋根の一部が剥がれているように見えるので、気になってしまい‥。』

『うちは決めた業者がありますので、そちらに相談しますね。どうもお世話様です。』と、夫。

そこで、ドアホンのスイッチを切ったのですが、

もう典型的な、インチキ修理業者の常套句という感じです。

そもそも、ドアホンの死角になりそうな場所に離れて立っていた時点でアウトです。

今までのドアホンでは、ギリギリ映らない場所でしたが、新しいドアホンは広角レンズなので、しっかり映っていました(笑)。

そこには、気の弱そうな若いお兄さんが立っていましたが、近所で工事なんてしていないので、怪しさ100%です。

‥とはいうものの、『屋根が‥』と、言われると、気になるのも事実です。

もう1度ドアホンの映像でチェックしてみると、周りに誰もいないし、数分経っています。

そこでやっぱり気になるので、屋根をチェックしようと外に出ると、曲がり角からさっきのお兄さんと、もう1人柄の悪そうな若いお兄さんが出てきました。

私達が出てくるのを隠れて待っていたようでした。

その柄の悪そうなお兄さん、鳶職っぽいズボンを履いていましたが、眉毛を細くして、首元からはタトゥーがチラ見えし、輪っかのようなピアスをしていました。

偏見まみれの表現ですが、ちょっとヤバそうなニオイがプンプンします。

そこで先程のお兄さん、『屋根の件は親切で教えてあげようと思ったんですよ。』と、言うので仕方なく、

『何処ですか?よくわからないんですが‥。』

『ほら、あの三角になっている部分の少し下の‥。』と、言ってきますが、よくわかりません。

その間、ヤバそうなお兄さんの方は無言です。

どんなにしっかり見てもわからないし、多分嘘だと思いましたが、『よくわからないので、うちがいつもお世話になっている業者に明日にでも来てもらうことにします。ありがとうございました。』(もちろん、これも嘘ですが。)と、逃げるように家に入りました。

こういう場合、直ぐに外に出てはダメですね。

しみじみ、夫と一緒で良かったと思いました。

そして後日、また居たのです。

今度は、鳶職風なカッコではなかったのですが、もう1人増えて、何やらあれこれ下見している雰囲気。

この時は、ノロノロ歩いて、空き家の前で立ち止まって覗きこんでいたり、行き止まりの道に入って行ったり‥。

せっかく、ドアホンを新調したので、直接対峙しなくていいように、ちょっとでも怪しいと思ったら、ドアホンに姿が映っていなくても外に出ない方がいいですね。

それと、しばらくは用心した方が良さそうですね。

勝手に危ない人認定してしまいましたが、やっぱり人は見た目が9割‥と、言ったら失礼かな。

 

 

 

 

 

今年の桜は遅く、まだちらほら‥ですが、たんぽぽはあちこちで咲き誇っています。

 

お見舞い旅行?完結編。

今回のじいちゃんのお見舞いは、色々なことがありました。

じいちゃんに関しては、当初は誤嚥性肺炎がこんなに深刻なことだとは思っていなかったので、ショックでしたが、95歳だし‥。

本人が辛い思いをしていないような事だけは大きな救いです。

そして、病院から宿へ向かう際に起こった壮大な回り道事件(笑)。

今回は、蒲郡市三谷温泉近くの住宅街に迷いこんでしまったのかと思っていたら、名古屋市緑区黒沢台1丁目だったというわけワカメな状況からの続きです。

 

 

この時既に18時半頃でした。

土地勘が無いところでナビが全く信用できないのは最悪ですが、宿泊先の旅館を目指して、ナビを疑いつつ走り出しました。

バッチリ帰宅渋滞にハマってしまい、テールランプの長い列。

それなのに、更に長い列になっている高速入口に馬鹿ナビは誘導してきます。

今回は、道路標識の『蒲郡』方面を見て確認しながら走行すると、高速には乗らず、23号線(蒲郡バイパス)を走ることになりました。

実は、車の流れに乗って偶然このバイパスに行きついたのですが、まるで高速道路のようです。

ホントはこのバイパス、自動車専用道路で法定速度は60kmですが、皆さんカッ飛んでいました。

最初は間違って高速に乗ってしまったのか‥と、思ったほど。

でも順調に走行し、『蒲郡』方面へ向かう交差点で曲がって、しばらく走ると、蒲郡駅(JR東海名鉄)が、見えた時は、ホントに嬉しく思いました。

 

更に進むと、当初夕食のお店としてチョイスしていたお店がありました。

時刻は19時半。こちらで夕食をとり、宿には、到着が遅れる旨の連絡を入れました。

夫は鰻丼、私はひつまぶしをいただきました。このお店のひつまぶしのうなぎは、カリカリして程よく脂がのっていて、美味しくいただきました。

 

そして、このお店から僅か10分で、宿泊先の旅館に到着しました。

その旅館は高台に建っているようでしたが、街灯も無い真っ暗な道を登ったところにありました。

建物は古いものの、よく手入れをされていて清潔感がありました。

弟が、その昔、社員旅行で泊まったことがある‥と、言っていましたが、確かに社員旅行御用達という雰囲気もありました。

直前割で、お部屋お任せ朝食付きという格安プランでしたが、お部屋も申し訳ないほど広々として快適でした。

お部屋は、12畳の和室と4畳半ぐらいの部屋が2つ。

バストイレ付きで洗面台は2口あり、他に流しと、冷蔵庫と湯沸かしポットがありました。

こんなに広い部屋を2人でゆったり使うことができました。

温泉も、遅い時間と、翌朝に入りましたが、広々として、何より清潔感もあり快適でした。

何となく、古き良き昭和って感じでしょ?
アメニティは必要な分だけフロント前からセルフで受けとるとか、無駄を省いて快適さをキープしているように思いました。

朝食バイキングも、ありふれたメニューでしたが、こまめに補充されており、美味しくいただきました。

それで、2人で何と13500円。

温泉にも入れたし、名古屋でビジネスホテルに泊まるより、遥かにお得で、快適だと思いました。

平野屋さん、お世話になりました。

 

珍しくのんびりとした朝を過ごしたので、チェアウトはギリギリの10時。

神社仏閣大好きな夫のリクエストで、豊川稲荷神社に立ち寄って、帰路に着くことにしました。

蒲郡市三谷温泉の平野屋さんから、車で約30分で無事に(笑)、到着しました。

 

豊川稲荷神社は、日本三大稲荷神社の1つ。(京都の伏見稲荷神社、茨城県笠間市笠間稲荷神社、そして豊川稲荷神社)

商売繁盛のご利益で全国的にも有名です。

境内はとても広く立派で、ひとまわりすると約1時間ほど経っていました。

本殿を参拝後は、狐の石像が奉納されている霊狐塚へ。

平日ということもあり、のんびりとした時間を過ごしました。

豊川稲荷神社を出ると、どこかレトロな雰囲気の門前町が広がっていました。

やはり名物は稲荷寿司のようでしたが、昼食の時間には早く、駐車場に戻り帰路に着きました。

 

豊川ICから、東名に乗り、途中で、新東名へ。

短い距離でしたが、正面に富士山の姿を見ることも出来て、快適なドライブでした。

この日は、下り方面は事故渋滞らしく、かなり長い間、ノロノロ運転になっているようでした。8割方、トラックだったので時間の制約もあるだろうし気の毒に思いました。

幸い、こちらは渋滞に巻き込まれることなく、途中、ランチ休憩とトイレ休憩を取り、海老名JCから、圏央道に入り、15時半には関越の川越ICで、高速を降りました。

ここまで来れば、まだ1時間ぐらいかかるのですが、気分は帰ってきたも同然です。

スーパーに寄って、夕食用に、お弁当を買い込み、無事に帰宅しました。

 

 

何だか、色々なことがあった1泊2日でした。

高齢者にとっての誤嚥性肺炎で入院の意味‥の深刻さ。

人間、誰しも最後には死んでゆくのに、いざそれが迫っている姿を見せられる立場になると、色々な思いが湧いてきました。

じいちゃんの場合は、老衰で、苦痛は感じていないし、穏やかにゆっくり身体の機能が失われているという状態と、理解しているつもりです。

決して死はタブーでも敗北でもないのですが、そうした姿に向き合った経験が殆どないこともあって、延命措置を希望しなかったことを、じいちゃん本人はどう思っているのかな‥と、やはり気になってしまいます。

少なくとも、自分の終末期の希望は、息子達にちゃんと伝えておこうと思います。

自分の為にというより、今回のように延命措置の希望の判断を迫られるのは、順当に行けば、彼らですものね。

そして、車のナビは、まず疑ってかかることにします(笑)。

また、名古屋まで行くことになると思いますが、早速、最新の道路地図(中部)、買いました。

普段の生活では縁のない土地なので、地図を見るだけでも新鮮です(笑)。

 

長々とお付き合い、ありがとうございました😊。

 

 

 

 






 




 

 

 

 

ナビの大馬鹿野郎‼️

前回のブログの続きです。

ナビがポンコツ過ぎて酷い目に遭いました。

大馬鹿野郎のナビのお話、聞いてくださいな。

 

じいちゃんが誤嚥性肺炎で入院したという連絡を受け、95歳という高齢でもあるので、急遽お見舞いに行くことにした私達。

大雑把なスケジュールは、埼玉から関越、圏央道を使って東名(新東名)に乗って、愛知県刈谷市にある総合病院へ。

15時過ぎには到着し、無事にじいちゃんのお見舞いを済ませました。

その後、弟夫妻と合流し、ドクターの説明を聞くことになり、結構重たい話になってしまい、病院を出る頃には既に17時になっていました。

この後の予定は、何処かで夕食をとり、蒲郡市の三谷温泉の宿に向かうことになっていました。

刈谷市から蒲郡市の三谷温泉、車で約1時間の距離ですが、名古屋っ子の義妹曰く、平日のこの時間帯は途中にトヨタ関連の工場が多く一斉に帰路に着く時間帯なので、いつも渋滞するとのこと。

なので、弟夫妻とは早々に別れ、夕食のお店として調べておいた三谷温泉の魚料理のお店を目指すことにしました。

ナビにお店の名前を入れても出てきません。

このナビ、相変わらずポンコツだよね‥と、悪態をつきながら、「愛知県蒲郡市三谷町‥」と、番地までしっかり入力し目的地設定をしました。

食べログの紹介文では地元の人気店のはずなのに、店名検索で出て来ないなんて情けないよね‥と、既にナビに対してマイナスのバイアスがかかっている私達。

お店の住所を入力したし、宿も同じ町内のようだし‥と、いつもならナビの画面を広域モードで確認してから出発するのですが、帰宅渋滞に巻き込まれないように今回はそれをせずに急いで出発しました。

でも、時既に遅し‥で、ところどころで渋滞していました。

この日の天候は曇り空で、夕暮れ時でしたが、三谷温泉は三河湾に面しているので海が見えるかな‥と、期待していましたが、一向に見えません。

雲の色と同化してわからないのかなあ‥。

もう1時間近く走っています。

三谷温泉って意外と、地方都市って感じなのかなあ‥。

小さな違和感を感じていないわけではなかったのですが‥。

今通り過ぎた小学校、名古屋市立‥と、書いてあった気がする‥。見間違いかな。

埼玉の人間なので、全く土地勘がないので、夫は運転に必死です。(なごやんドライバー気質を感じて、普段より気が張っているようです。)

そして、ナビは急坂を登る案内をします。

どう見ても住宅街だよね。こんなところにお店があるのかなあ‥。

うちの近所にも、住宅街に唐突に、結構人気のあるうどん屋さんがあるので、そのパターンなのかなあ‥。

‥と、色々と不安に思いながらも、細い坂道を進むと、ナビは自信満々に『目的地に到着しました。』と、言い放ちます。

はあ?

どう見ても住宅街。それも入り組んでいて、前から車が来たらアウトという感じ。

直近では大洗海岸に行った時も、それらしい住所に案内されたのに、肝心のお店が分からなくて、諦めて他の店に行ったり、少しズレたと思われる場所を案内されたことも何度かあり、またやられた‥と、この時は思っていたのです。

多分、三谷温泉近くの住宅街に迷いこんだのだと思い、とりあえず、予約していた宿の名前を入力し、仕切り直すことにしました。

さすがの老舗旅館、一発で、出てきましたが‥。

何と、走行距離57km、所用時間1時間30分という表示が出てくるではありませんか。

えええ!

広域地図で確認すると、目的地の近くには目印にしていたラグーナテンボスもあるし、設定は間違ってはいないようです。

じゃあ、ここは何処?

細い道を抜けると、「名古屋市緑区黒沢台1丁目」の表示が見えました。

どうして、蒲郡市三谷町‥の住所地番まで入れて、ナビの設定をしたのに、名古屋市内に連れて行かれちゃったの?

正直なところ、蒲郡市名古屋市緑区の位置関係も殆ど分かっていないし、調べたら余計腹が立ちそうだし‥。

どうしてこうなるんでしょう?

しかも、この馬鹿ナビ、『目的地に着きました。』と、しれっと言い切っています。

ホントなら、この時間には、海鮮丼かひつまぶしにするか、幸せに悩んでいたはずです。

いくらなんでも、こんな大嘘ナビゲートするなんて、製品として世に出してはいけないシロモノなのでは?とか、もしかしてリコールされてる?‥と、私、未だに激おこプンプン丸です。(古い表現だったかな)

あたりは、すっかり真っ暗で、土地勘がない場所で、ナビを信じたばかりに(笑)、57km離れた場所に連れて行かれました。

馬鹿とかポンコツレベルではなく、嫌がらせレベルのクソナビです💢

このナビ、毎月データの更新料として550円かかっている最新のもの。

しかも、他社製品より遥かに高価だったし‥。

夫がこの車を買う時に、実は純正のナビの評判が悪く、最後まで悩んでいたのです。

我が家の周辺の見通しが悪いので、アラウンドビューモニターが欲しくて、付ける為には、純正のナビとセットにするしかなく、渋々選んだという経緯があります。

それだけに、こんな酷いナビゲートをされると、車の魅力さえ色褪せてしまいます。

あまりに腹が立ったので、言わせて頂きます。

ホンダの純正のナビはクソです!

この話を弟夫妻にすると、彼らもホンダ車に乗っていますが、何度か変なところに連れ行かれそうになったとか。

だからナビを信用せずに、Googleマップを使っているとか‥。(それじゃ、何のためのナビ?笑)

ネットでも、そうしたホンダの純正ナビは馬鹿なの?という話題は沢山見かけます。

しかし、何で、ホンダの純正のナビを使っている人は諦めて受け入れてしまうんでしょう。

もっと声を大にして文句を言わないと、きっと馬鹿ナビのままです。

ヴェゼルという車は、ペーパードライバーの私から見てもかっこいいと思っているのに残念でしかありません。

やっぱりトヨタ車から浮気しなければよかった‥と、何やら怪しげな伏線張ろうとしている雰囲気の夫。(でも、伏線回収できる金銭的な余裕はありませんよ😜)

余計なお世話だけど、ホンダさん、こんな大馬鹿ナビを放置していたら、うちのように不快な思いをしたら、世間様は絶対に次はホンダ車を選びませんよ。プンプン😡

ちなみに13年前の以前のトヨタ車のナビですら、目的地を住所で入力して、変なところに連れて行かれたことは1度もありません。(間抜けなルート案内はあったけれど。)



ナビに対する怒りで、長くなってしまいました。

もしかしたら、こちらも、致命的なミスをしているかもしれない‥と、思う瞬間もあるのですが、(いや、してないよね‥)

また、私は車やナビの知識があるわけではないので、勘違いがあるかもしれませんが、

それでもやっぱりちょっと酷すぎですよね。

 

誤嚥性肺炎、恐るべし。

前回のブログを投稿後、やっぱり名古屋へ行こう!と思い立ち、夫に相談したところ、今回は一緒に車で行こう!という話になりました。

どうせなら温泉に入りたい‥という夫。

名古屋で宿を取ると、殆どホテルになってしまうので、その手前で温泉のある宿を取って‥。

埼玉から名古屋まで行くとなると、病院の面会時間内に到着するだけで精一杯になりそうだし、時間が読めないから、宿は朝食付きだけでいいね‥。

‥という感じで急に決めたのですが、愛知県蒲郡市の三谷温泉の某老舗旅館の『直前割』という破格値のプランを見つけて予約し、名古屋へ向かいました。

病院は正確には、刈谷市でしたが。

今回は、渋滞必至な首都高を利用せずに、距離的にはちょっと遠回りですが、関越、圏央道を使って東名に乗るというルートを選択しました。

でも、やっぱり名古屋は遠く、圏央道から海老名あたりまで、ちまちまと渋滞があり、ランチやトイレ休憩を含めて、約6時間のドライブで、刈谷市にある総合病院に到着しました。

 

この日は弟夫妻も急遽、私達に予定を合わせてくれたのですが、一足先に病室へ向かいました。

最近建て替えられたらしい綺麗な病院でしたが、迷路のようで迷子になりそうでした。

病棟の入り口は、中から看護師さんが操作しないと、外来者は入れない仕組みになっていました。

所定の手続きをして、ストップウオッチを手渡され、15分の面会に臨みました。

私達がじいちゃんの病室に入ったのは15時すぎだったのですが、じいちゃんは、うつらうつらと眠くてだるそうといった雰囲気で、時折目を開けるものの、私だって分かってくれるかなあ‥と、心配になるほどです。

また、入院前から食欲が落ちており、入院後は絶食で、点滴で栄養、水分を確保しているとはいうものの、すっかり痩せていて、入れ歯も外しているので頬はコケており、思わずギョッとするほどの変わりようです。

声をかけると目を開けて、こちらを見てくれますが、直ぐにうつらうつらとし始めて、なんだか辛そうで、あれこれ話かけるのを躊躇うほど。

ストップウオッチのオンオフは任されていたので、かえってきっちり時間を守らなければ‥という気持ちになり、15分も滞在せずに部屋を後にしました。

その後、弟夫妻と合流し、このあとドクターの説明があるとのことで、再度病室へ向かいました。

 

少し待たされましたが、別室で、弟夫妻と私達の4人でドクターの話を聞くことになりました。

脳神経外科のドクターが主治医でした。

誤嚥性肺炎の患者は、脳神経外科が診るのか‥なんてことをぼんやり考えていた呑気な気持ちが吹き飛ばされるようなお話になりました。

『延命措置は希望しますか?』が、主なお話になってしまったのです。

つい先ほど、頬がこけて痩せた姿が少なからずショックだったものの、受け答えは何とか出来ていたし、退院して特養に戻る日が来るだろうと、根拠もなく思っていたのです。

ドクターのお話は、現在誤嚥性肺炎の方は快方に向かっているものの、嚥下機能がかなり衰えており、もう口からのお食事は出来ないと思われる。

今後も、点滴などで、栄養を確保していくことになる。

食事の楽しみの為に少量でも‥ということをすれば、直ぐに誤嚥性肺炎を再発してしまう。

また、尿検査の結果も、細菌に感染していた。

脳のMRI映像も、脳の萎縮が進んでいるとのこと。

平たく言うと、老衰で、もう普通に食べることができないので、今の治療はじいちゃんが枯れていくのを待っている状態。

延命措置をしても、もう寝たきりで点滴などで命を繋いでいるだけということ。

‥という内容で、ドクターは延命措置の希望の有無を確認してきたのです。

弟夫妻も私達も、延命措置は、かえって本人を苦しめるのではないか‥と、思うし、本人の性格からも延命措置は希望しないと思われるので、希望しない方針を伝えました。

ドクターの見立てでは、持ってあとひと月の命とのこと‥。

時折、苦しげな呼吸に見えた瞬間もあったものの、痛みや苦痛はないそうで、そこには、救われた気持ちになりました。

じいちゃんは95歳。

大きな病気もせずにここまで来て、医療に繋がっていなければ、食事が出来なくなった時点で老衰で亡くなっていたことになります。

特養のご飯が、あまり美味しくない‥と、言って食が細くなっていた時点で、死亡フラグが立っていたのでしょう。

また、口腔ケアをサボっていたのも、嘘をついて誤魔化していたというより、だるくて仕方なかったのかもしれません。

割とマイペースな人だったので、私も弟も、誤嚥性肺炎はある意味自業自得だと思っていましたが、高齢者にとっての誤嚥性肺炎は、死亡フラグと言えるほど深刻な状態だったんだ‥と、思うに至りました。

延命措置をしない判断は、正しいと思っていますし、95歳という年齢を考えると仕方ないと思いますが、じいちゃんの命があと僅かなんだなあ‥と思うと、時折鼻の奥がツーンとしてきます。

また、この決断を弟夫妻だけにさせることにならなくて良かったと思いました。

ベストな判断だと思っていても、やっぱり感情は別物で、弟も時折涙目になっていましたし。

ここ数年、じいちゃんの老いが進んだのを心配して、名古屋へ会いに行って良かったです。

その時は、終末期の希望を聞くなんてことはできませんでしたが、数日でも一緒に過ごしていると、本人の考え方は、何となくわかるものです。

私達夫婦は、延命措置を望みますか?‥という事態になった時は、今回のことで、お互いに望んでいないということは、はっきりしましたが、息子達の前でちゃんと話をしたことはないので、こんな話ほど元気なうちにちゃんと伝えておかなくっちゃと、改めて思いました。

 

このあと弟夫妻と別れて、宿泊先の蒲郡市の三谷温泉に向かいましたが、

もう車のナビがポンコツで‥酷い目に遭いました。

長くなってしまったので、後日に続きます。

 

 

 

帰路の新東名にて。