はじめの1歩

子育て終了、時間と心の余裕が出来たのでイロイロ手を出してみます。

大往生。(備忘録)

じいちゃん(私の父のことです)が、亡くなりました。

 

 

4月8日、病院より血中酸素濃度が低下して酸素マスクを装着したとの連絡を受けたと、弟より聞きました。

95歳という年齢なので直ぐにどうにかなるわけではないそうですが、もうカウントダウンだと思いました。

最後に会いに行こうと思うものの、新幹線の距離だし、病院の管理も厳しく面会時間も短く、しかも毎日1組限定です。

またこんな時に限ってちょっと身動きがとれません。

そんな事情もあり、義妹のYちゃんがお見舞いに行く度にLINEのビデオ通話を繋いでくれていました。

変な話ですが思いの他、元気なんです。入れ歯を外しているので発音が不明瞭ながらも会話が出来るし、手も振ってくれました。

もうすぐ病気で亡くなった母の23回目の命日なんですが、数日前から命日はいつだっけ?と頻繁に聞いていたそうです。お揃いの命日になるように頑張るつもりなのかなあ‥と、Yちゃんと噂してみたり‥。

4月11日、じいちゃんがお汁粉を食べたい‥とずっと言っていたので、Yちゃんはこっそりお汁粉を病室に持ち込み、医療用のビニールの手袋の指先に少し付けてじいちゃんの上顎につけたそうです。でも、しばらくすると激しく咳き込んでしまいナースコール。やっぱり、ほんの少しでももう嚥下出来なくなっているんですね。

すぐに落ち着いたし、バレていたかもしれないけれどお咎めなしだったので、ほっとしたなんて言っていました。

 

そして4月12日、朝6時半の時点では、確実に息があったのに、次の回診の8時時点では息がなく、その間に、穏やか息を引き取ったと、病院から連絡があったとのことでした。

Yちゃんにとっても不意打ちだったようで、この日に限っていつも朝1番でお見舞いに行っていたのに用事を片付けてから行くつもりだったそうです。

私は私で、13日が母の命日なので、何の根拠もないけれど13日までは頑張ってくれるという前提で、弾丸名古屋往復を考えていたところでした。

結局、1人で病院のベットで静かに逝ってしまったんだなあ‥と、思うと、ちょっと可哀想な気もしましたが、眠るようにそのまま息を引き取ったと思われる‥というのも苦しい思いをしながらの最期ではないので悪くはないのかな‥と、思ってみたり‥。

‥と、いうことで、バタバタとお通夜、お葬式と、済ませて来ました。

 

10年以上前に義母のお葬式を家族葬で行いましたが、その時から既に火葬場の待ちがかなりあり、当時で1週間以上待たされた記憶があります。

なので、ここ数年、多死社会と言われるほどなので、きっとかなり待たされると思っていましたが、意外にすんなりと葬儀スケジュールが決まりました。

家族葬形式で、弟ファミリーと、私のファミリーだけで行うつもりでしたが、じいちゃんの1番下の弟夫妻が参列を申し出てきました。

1番下の弟といっても80代後半です。会場は名古屋の外れだし、その夫婦は横浜在住なので負担が大きいことでしょう。

それを思い家族葬にしたのですが、半分押し切られる形で来ていただくことになりました。

我が家からは、長男は年度始めは休みにくいのと姫路在住ということもあり欠席、次男は行くつもりで前日に我が家まで来て翌日一緒に出発の予定でしたが、いきなり高熱でダウン。

可哀想だけど、自宅にトンボ帰りしてもらいました。彼も4月の中旬ぐらいまで、かなりの繁忙期で残業続きだったので、疲れがかなり溜まっていたようでした。

息子達は、過労気味になると、いきなり高熱でダウンということが多かったので、多分コロナではない‥と思い、休養第一にして貰いました。

結局、我が家は私と夫で参列しました。

 

4月14日、今回も荷物が多いこともあり、車で名古屋へ。

日曜日に遠出をすることがなかったので、渋滞が不安でしたが、トラックが殆ど居ないので、むしろ空いているぐらいでした。それでも途中事故渋滞に巻き込まれて、ランチ休憩込みで約6時間のドライブでした。

斎場にはお通夜の2時間前に到着して、弟夫妻、久しぶりにその子供世帯にも会い、ほのぼのとした空気も味わいました。

お通夜は、お坊さんがお経をあげておしまいでした。

義母の時は、その後にしみじみとした講話があったのですが、そうした話は一切なくあっさりしたものでした。

その後は、みんなで仕出し弁当を食べて解散しました。

私達夫婦だけ、その斎場の宿泊施設を利用させてもらいました。

翌日は朝一番で、お葬式、出棺というスケジュールでした。

その後火葬場へ向かい、小一時間で、じいちゃんは骨だけになってしまいました。

待っている間に、ちょっと豪華版のお弁当が用意されていましたが、、私にしては珍しくお残ししてしまうほど、なんだか精神的に疲れてしまいました。

そして斎場に戻り、初七日の法要を済ませました。

全日程に来て下さったお坊さんは葬儀社が手配してくれたのですが、本当にお経を読むだけでした。

普段の生活では、こういったことは意識することもなく宗派すら分かっていないので、お経について少しでも解説してくれたらいいのになあ‥。

宗派、土地柄、お坊さん個人の性格によっても様々なんでしょうが、こうして一連の葬儀を終えました。

弟宅に立ち寄り、着替えと小休憩を取らせてもらい、15時過ぎには、名古屋を出発し、埼玉へと帰路に着きました。

途中、3件の事故渋滞に巻き込まれましたが、発生初期だったのか、意外と早く渋滞から抜け出すことはできましたが、約5時間のドライブとなりました。

 

今回、自分でも意外なほど涙が溢れてしまいました。

父との関係は特別に良いというわけではなく、悪くもなく‥で、私の目にはマイペースな人に映っていたし、95歳という年齢を思うと、男性でここまで大きな病気もせずに天寿を全うしたのだから、逆にめでたいぐらいかも‥という気持ちもありました。

でも、棺に収められた姿を見て、触ると冷たくて、そして骨になった姿を見ると、『ああ、もうこの人は居ないんだ‥。』という実感が涙ともに溢れてきました。

今回、親との関係、親戚との関係、兄弟との関係‥。今まで見えていなかったこともたくさんあったことにも気がつきました。

自宅に帰って、ホッとすると疲れが一気に押し寄せてきて、一晩眠ったぐらいじゃ回復できず、私自身もばーさん道を更に進んだなあ‥と、しみじみ思っています。

 

 

 

 

 

帰宅すると、庭のチューリップが咲き誇っていました。