はじめの1歩

子育て終了、時間と心の余裕が出来たのでイロイロ手を出してみます。

じいちゃんに会いに名古屋へ。

先日、弟夫妻より、じいちゃんの圧迫骨折の連絡を貰い、色々と連絡を取り合ううちに、かなりヤバいことになっていそう‥と感じていました。

じいちゃんは私の実父で93歳。

東日本大地震前年に東京の家を畳み、名古屋に住む弟夫妻と同居をしています。

93歳になるまで介護保険のお世話になることもなく、自分の足で歩き食欲も旺盛で元気いっぱいなじいちゃんだったのですが、この圧迫骨折は老いの階段を猛スピードで駆け上がるキッカケになってしまったようです。

気力を失っているようにも見えるので、是非会いに来て‥とのことですが、折りしもコロナ第7波で連日感染者が爆上がりの毎日。

うちからは新幹線の距離なので、コロナをお持ち込みしたら大変だし、コロナに対する姿勢は、家庭環境、住んでいる地域でその常識は大きく違うと感じることも多いし‥。

しかも行くか否か、さんざん悩み、先週の金土日でお邪魔するというスケジュールをたてたら、連日コロナの感染者は絶賛爆上がり中で、東京では連日3万人超え‥。

さすがに3回目のコロナ禍のマスクの夏なので、かつてのような行動制限はない代わりに、それこそ個人のコロナに対する考え方での自己責任。

身体が弱っている老人のいるところに行ってもいいのかなあ‥と、悩ましく思いながら、新幹線の時刻を調べたり、準備をしたり‥で、直前までウジウジしていました。

 

 

 

で、結局、極力空いた電車を選びまくり、思いきって名古屋へ行ってきました。

弟夫妻の家は、名古屋駅より名鉄に乗って少し郊外の住宅地。

完全な車社会という感じの場所ということもあり、最寄り駅まで義妹が車で迎えに来てくれました。

じいちゃんに会ったのは、約8ヵ月ぶり。

前回会った時は甥っ子君の結婚式の席でした。

その時はしっかり自分の足で歩き、お食事もしっかり平らげ行動は多少スローモーだと思ったものの歳を考えれば立派なものだと思っていましたが、この8ヵ月で、全くの別人になっていました。

一箇所、具合の悪い部分が出てくると、それを庇う為に違う場所に負担がかかり、また別の不都合が出てくる‥というような、まさに負のサイクルにはまってしまったようです。

当初は、腰が痛いから少し安静にすればよくなると言い張り、頑なにお医者さんを拒否。

結局、腰と首の圧迫骨折が判明し、本人はかなりガッカリしたようです。

でも、やっと介護保険の認定を受けてくれる気持ちになったものの判定員さんの前では『大丈夫、出来る』の嵐。これって、結構『あるある』らしいけれど。

しかも、ひと月近く、散歩にも行かず座りっぱなしの生活をしていたので、お尻に褥瘡が出来ている雰囲気。

本人は、家の中で散歩していたと言っていましたが‥。

食欲も以前の半分ぐらいだし、ほおがこけて見えるほど急激に痩せていたし、やはり腰やお尻が痛いせいか、歩き方もぜんまいしかけのおもちゃみたいなチョコチョコ歩き。

ああ、もうこれでは新幹線に乗ってお墓参りにやってくるなんて絶対に無理だろうなあ‥と思わせるほどの変わりように内心とてもショックでした。

義妹は、自分の祖母、両親を既に見送っているので、この状況に危機感を持ち、更にこのご時世で、万が一入院なんてことになったら、面会もできないままお別れ‥ということも心配していたようです。

 

結局、弟夫妻の家に滞在中は1歩も外に出ることなく、じいちゃんの部屋に入り浸っていたり、夜は弟夫妻とまるで修学旅行の夜(笑)。

リビングで夜ふかしして楽しく喋っていた3日間を過ごしました。

義妹には、じいちゃんは元気が出たみたいと言ってもらえて少しホッとしたものの、何だか複雑な気持ちの3日間でした。

ある程度、年齢を重ねると、ほんの些細なキッカケでどんどん動けなくなっていくんだなあ‥というのを目の当たりにしました。

後からコロナ第7波のピークだったけれど、最後に名古屋に行って会えて良かったね‥なんてことにならないようにと、寂しい気持ちで祈っています。