はじめの1歩

子育て終了、時間と心の余裕が出来たのでイロイロ手を出してみます。

年賀状の準備。

あっという間に12月に突入です。

12月は、窓の結露拭きが日課に加わるし、大掃除もしなくてはならないし、年賀状の準備もあるし‥。

今年こそ、クリスマスと新年をまったりゆったり過ごしたいけれど黄色信号です。

 

 

虚礼廃止。

安否確認。‥

我が家の年賀状は、ピークの半分以下になったのだけど、負担感は変わりません。

私自身は、年に1度くらいは、相手のことを思い出して住所から手書きでも全然構わないのだけど、夫は、宛名まで印刷して一言メッセージを書くだけにしたい人。

それも、短いメッセージでも体裁が整うような構図の絵柄を選ぼうとするので、毎年似たような年賀状になってしまいます。(笑)

そもそも、年賀状ソフトも、年に1度しか使わないので、使い方を綺麗に忘れていて、私は手書きの方が早いかも‥のレベルです。

まさに虚礼廃止の真逆を行っています。

でも、新年に年賀状が来ればやっぱり嬉しいしいからやっているような感じです。

 

悩ましきは、目上の方への年賀状。

年齢的にも、安否確認的な要素も濃くなってきた今日この頃。

夫は定年退職したし、会社関係は激減したのですが、未だに年賀状だけのやり取りが残る方もいます。

相手から、今年は来なかったから次の年賀状リストから外すと、翌年は、来ていたりして。

本当は負担に思っているのではないのかなと、思いつつも辞め時を逸してしまい忖度合戦になってしまったり。

また、年賀状だけの付き合いの親戚達も悩みの種。

おじさん、おばさんは、顔がわかるし、かつては交流があったから、お元気かしら?の気持ちなんだけれど。

そのおじさん、おばさんが亡くなったり、介護状態になっていたりすると、その子供世帯から律儀に年賀状が届きます。

いとこからの年賀状なんだけれど、父方のいとことは、殆ど交流がなかったので、

今、道ですれ違ってもお互いに気がつかないような間柄なんですよね。

それこそ、虚礼廃止だよねと、思うものの、新年に慌て年賀状書くよりマシか?ってことを、多分同じ思考回路でお互いにやっているような気がします。

 

現在、20代後半の息子達は、もうすっかり年賀状離れしています。

彼らが高校生ぐらいの時から『あけおめメール』にとって代わり、面倒くさがりやの長男は、多分まともに年賀状を書いたことがないかもしれません。

我が家でもこんな感じなので、年賀状の売り上げが年々減っていくのもわかります。

かつては、11月に入ってすぐに年賀状を買わないと、インクジェット紙の葉書が売り切れてしまうから‥と、少し多めに買っていたのですが、現在では、今年来た年賀状をチェックしてリストを作って喪中葉書が出揃ってから買いにいっても大丈夫。

こんな感じでは、郵便局の職員さんに販売ノルマがあったら気の毒だなぁなんて思ったりします。

 

今日は、年賀状のリストのチェックをしていました。

ここ数年、思うのは、この先、孫が出来て、その孫達が、悪ガキ、クソガキであっても

あそびに来たいと言われたら、ふた家族同時であっても大騒ぎになっても迎え入れようと思っています。

と、いうのも、父方の祖父母は、大人数で来られるのが嫌だったのか、大きな家でしたが、遊びに行こうと連絡をすると、他の親戚が来るからまた今度にしてね‥という感じで、いとこ同士顔を合わせる機会がありませんでした。

なので、いとこ同士が顔を合わせた最初と最後が、祖父と祖母のお葬式の席でした。

その時は、皆高校生以上になっていたし、お葬式の席だし殆ど会話もありませんでした。結局、1度も会えないいとこもいます。

父方の兄弟仲が特別悪い訳でなく、『◯◯おじさんちの◯◯ちゃんが、〜したよ』的な話は聞いていたので、それぞれの肩書きはなんとなくわかっているものの、肝心の顔がわからないという奇妙なことになってしまいました。

きっと、父方の祖父母は、大人数でわちゃわちゃするより、ひと家族毎に迎えた方がいいと思っていたのでしょうが、ちょっと残念な結果になってしまいました。

だから、自分がおばーちゃんになったら、短時間でも、うちの息子ファミリーが一緒に遊びに来てくれるようにしようと妄想しています。

はい、妄想です。

孫より先に、結婚とか、彼女のハードルが壁のようにそびえています。

夫も、孫が出来たら、無責任に甘やかす気満々のようなことを言っていますが、肝心の息子達に、まだ結婚のケの字もありません。

去年も、同じ妄想を抱いて年賀状の準備をしていたような気がします。(笑)

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