はじめの1歩

子育て終了、時間と心の余裕が出来たのでイロイロ手を出してみます。

人生会議。(完全版)

お墓参りに行ってきた。

勤労感謝の日の祝日が義父の命日なのだが、霊園が高尾山の麓にあり、我が家からは遠いし、この季節の休日は間違いなく渋滞にハマるので、例年命日近くに行くことにしている。

実は、義父に会ったことはない。

夫と出会う前に亡くなっているので、義母から聞いた話のイメージでは、短気だけど男気溢れるカッコいい人。(思い出が美しく修正されていると夫は笑うが。)

60代で亡くなってしまった。

最後の半年は、毎日病室に通いお世話して、ある意味きちんと看病してのお別れに心の準備が出来たような事を義母は話してくれたことがある。

でも、『死』にまつわる話は一切せず、お葬式など、とても大変だったらしい。

 

私の実母も、60代で亡くなった。

医師の余命宣告通り、病を得て2年で亡くなってしまった。

2年間を、全て闘病していたわけではないが、再発してあっという間にホスピスで1か月も経たないうちに亡くなってしまった。

定期券を買って、往復3時間かけて、ほぼ毎日お見舞いに行き、毎日数時間だけど顔を合わせて他愛ない会話はしていたけれど‥。

亡くなる数日前から、実母の横に死神が短いろうそくを持って立っているような気がした。

当時小学校の低学年だった息子達も『やばいぞ』という空気を感じとっていて、

頻繁に『おばあちゃん、大丈夫だよね。』と、念押ししてきた。

誰が見てもやばい状態だったのに、『大丈夫だよ。』としか言えなかった。

数日間、息子達とそんなやりとりをしていたが、遂に、死神がろうそくの火を吹き消した。

小学生の息子達にとって初めての身近な人の死。

長男は茫然とし、次男はショックでずっと大泣きしていた。

あまりにも悲しげに泣き続けるので、こんな場面は何度も経験しているであろうホスピスの看護婦さん達ももらい泣きするほどだった。

その時は、息子達にとっても悲しいけれど、『死』を身近に考える体験になったよねと、思っていた。

でも、今にして思うと、いちばん『死』をタブー視していたのは、この私。

隣に短いろうそく持った死神を感じていたくせに、大丈夫と言い、余命宣告の2年間にどんな話をしたんだろうと思うと、当たり障りのない話しか出来なかった。

実母の場合、終末期の判断やその後のことで、悩むシーンは幸いなかったが、『死』がちらついていると、肝心な話って意外と出来ないのではないかと、思う。

 

で、最近、話題になったのが、このポスター。

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 このポスター、賛否両論、批判も多く、(ヘタレの)厚生労働省は、1日で、このポスターを引っ込めたとのこと。

さすが、事なかれ主義のお役人さん。(笑)

でも、私はこのポスターの賛成派。

このポスターの何が悪いの?

厚生労働省、グッジョブ!って思ってたのにな。

ふざけすぎって言うけれど、変に真面目だったら誰もポスターに気がつかないと思う。

このポスターで、傷つく人がいる‥というんだけど。

このポスターのシチュエーションを体験したら、日が浅い時は、何を見ても傷つくと思うし、『時間薬』に頼るしかないと思うんだけどな。

命の危機が迫った時、想いは正しく伝わらないって、ホントだと思う。

もし、ポスターを引っ込めたことで、かえって話題になって注目を集めさせる作戦だったら、さすが!なんだけれど。

棺桶に片足突っ込んでいるような人に、こんな話を振ることはできないけれど、

残された人のことを思う時、終末期の希望を伝えておくって、最大の思いやりだと思う。

金銭的な問題から、心の問題まで、残された人は、聞いておけば良かったって後悔することって多いのに。

特に、終末期の本人の希望を聞いていないと、治療を諦めても後悔が残るし、無理な延命措置をしても本人を苦しめたのではないかと悩むと思う。

現在、元気いっぱいな人にだって明日降りかかることかもしれないから、やっぱり元気なうちに、大雑把でも構わないから、自分の意思表示をしておくことって凄く大事。

‥と、一人熱くなってる。

 

      ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

先程、半分書いたところで、間違えて『公開』ボタン押しちゃいました。

中途半端な文章を送り出してしまい、すみませんでした。