はじめの1歩

子育て終了、時間と心の余裕が出来たのでイロイロ手を出してみます。

50代のおじさんとおばさんが‥。

新年早々ですが、親戚の叔父さんが亡くなり急遽お通夜に行ってきました。

久しぶりに都内に出て、久しぶりに乗った京浜急行から見た街並みは、マンションや大型施設だらけで、随分変わったなあなんて思いながら会場にむかいました。

 

そして久しぶりにいとこ達にも会いました。

私の母方のいとこ達は、親の代が仲良しで、お正月は実家に2日に集まると決まっていたし、夏は小学校の低学年までは熱海に一泊旅行、12月に入るとクリスマス会‥と、幼い頃は年に3回は顔を合わせていました。

だから、大人になった今でも、年賀状だけの付き合いになっていたものの、近況報告はしていたので、気持ちは幼い頃の親近感を持ち続けていました。

一方、父方のいとこ達とは殆ど交流がなかったので、多分今そこですれ違ってもお互いに気が付かないだろうなぁという感じです。

そう思うと、母方の親戚に関しては、親の代に感謝です。

特に母の兄弟の唯一の男の子だった叔父さんのお嫁さん、同居だったし、お正月は4家族が集まっていたし、きっと大変だっただろうなぁと、今頃その苦労を想像出来るようになりました。

今回はその叔父さんが亡くなってしまい、兄弟に当たる親の代も皆高齢で、代理でいとこ達が参列という感じになりました。

 

会場に着くと、すでにいとこ達は到着しており、多分20年ぶりぐらいに会う顔ばかり。

でも、お互いをちゃん付けで呼んで、思い出話や近況報告。

よくよく考えると50代のおじさんとおばさんがお互いのことをちゃん付けで呼んで、タイムスリップしたようににこやかに会話している図ってどうなの?と、思います。

社会的にもそれなりの地位にいる人にもちゃん付けですものね。

ひとしきりニコニコお喋りして、祭壇に飾られた叔父さんの遺影を見て涙して‥。

 

お通夜が始まり、読経のあと、お坊さんの話が始まります。

『皆さんで、南無阿弥陀仏を一緒に唱えて送り出してあげてください。まず4回続けて南無阿弥陀‥と、唱え、更に4回、そして最後に2回 南無阿弥陀仏と、唱えます。』

お坊さんのお話を聞いて、一緒に南無阿弥陀仏を唱えながら、遠い昔、私のおばあちゃんであり叔父さんの母の葬儀を思い出していました。

その時も、前列に親の代がずらりと並び、その後ろは子供席。

同じように、お坊さんが、一緒に南無阿弥陀仏を唱えてくださいと言ったのですが、

息継ぎをしないで7回か8回、南無阿弥陀仏を唱えろと言われたような‥。

そして、みんな律儀に息継ぎをせずに南無阿弥陀仏を唱えるので、唱え終えると、肩で大きく息を吸い込みます。

その様子を後ろの子供席で見ていたいとこ達は、親達が皆同じタイミングで肩で大きく呼吸する様子が無性に可笑しくて笑ってはいけない地獄に落ちていたのです。

勿論、自分達だって肩で大きく呼吸していたのですが。

今回も、そんなことを途中で思い出したのですが、さすがに笑ってはいけない地獄には落ちることなく唱え終えました。

でも、いとこの1人が、私と同じことを思い出していたようで、『今回は4回だから楽だったね。』なんていうので大爆笑。

親達がおばあちゃんを送った時も、泣いたり笑ったり忙しい式だったような記憶がありますが、私達も似たり寄ったりかもしれません。

そして、おじさんやおばさんになっても、ちゃん付けで会話できる下地を作ってくれた叔父さん、ありがとうございました。