311東日本大震災から8年が経ちました。
あの時、私が住んでいたところは、震度5強。
関東って意外と地震が多く、数年に1度ぐらいは震度4ぐらいは体験してしまうのですが、この時は大きい‥ヤバイぞ、と、身構えたのを思い出します。
この日は、たまたま有休消化の夫と近くのショッピングモールに行っていたのですが、着いて間もなく地震が起こりました。
夫は買ってから半年も経って居ない車が心配で、周りの人が大きな揺れで茫然としている時に『早く駐車場に戻ろう。』(‥と、ひたすら車の心配だけしていました。笑)
この一足早い行動が幸いしたようで、酷い渋滞に巻き込まれる前に帰宅することが出来ました。
帰宅すると、揺れた方向が良かったのか、物が落ちたり壊れたりということもなく、
やっと浪人生活から抜け出していた長男は、自室でオンラインゲームに夢中でした。
長男に声をかけると、
『ヤバイ揺れだったよね。パソコンの上に本とかおちてきたら大変だから守り通したんだよ。』と、呑気な答えが返って来たので一安心。
次男は、翌日が高校の卒業式を控えての登校日で、浪人決定だったので、学校の帰りに予備校に寄ることになっていました。
時間的に、高校にいるのか、予備校にいるのかわかりません。
メールをしてもなしのつぶて。
彼の通っている高校のホームページを見てみると、危険回避のため学校で待機しているとか。迎えに来れるなら来て欲しいと書いてありました。
その後も余震は続き、テレビをつけると津波のとんでもない映像が流れていました。
次男の高校は決して近くはないので、車で迎えに行くことにしました。
その時既に夕方で、帰宅時間が読めないので、長男も含めて家族全員で次男を迎えに行き、晩御飯は回転寿司でもファミレスにでも行こうかと、ノー天気に思って、車に乗り込んだのです。
東北の方は津波で大変なことになっているけれど、私達はたまたま渋滞に巻き込まれずに帰宅出来ていたし、長男はノー天気にオンラインゲームしてるし、家の中で壊れたものもなかったし‥。大きな揺れだったから電車は止まってしまったけれど、その他は意外と大丈夫だったのかななんて思っていたのです。
でも、大きな幹線道路に出た時点で、普段は居ない大勢の人が歩道を歩いている異様な様子を見て一気に不安になりました。
そして、車で10分ぐらい走ったあたりで渋滞で全く動けなくなってしまい、家を出てからすでに2時間近く経っていました。
歩道を歩く人はどんどん増え続けて車道にもはみ出して余計に渋滞します。
次男へは、私や長男がメールを打っても全く返事がありません。
そこへ、私のケータイに電話がかかってきました。
電話の主は次男で、『僕、家に帰ってるけど何処にいるの?』
彼は、先生の制止を振り切って5時間以上かけて歩いて帰宅したら誰も居ないし、
余震もあって不安だったし、自分のケータイは電池切れだったので家の電話からかけたのが幸いして、すんなり繋がったようでした。
実は、これが次男にとっての初電話。
彼は聴覚障害があるので、電話で会話を聴きとることが出来ないので、
電話を使うことを、本人も家族も諦めていたのです。
次男と連絡が取れたことにお互いがホッとした瞬間でした。
そして、記念すべき、初電話。
この時の彼は、言うだけ言って、私の話は半分も聴き取れていないようでした。
『あなたを迎えに行って酷い渋滞で立ち往生してたのよ。』と、話したのですが、
聞き取れてはおらず、僕の帰りが遅いから、3人で回転寿司にでも行ったのかと思ったと笑っていました。
その後は、静かな環境で、ハンズフリー機能を使うとどうにか電話を使うことが出来るようになりました。
やはり大変なことになった311の震災でしたが、私にとっては、次男の電話の第一声が一番に思い出されます。