先日、夫と久しぶりにお蕎麦屋さんに立ち寄った時のこと。
ランチタイム前で比較的すいている時間帯に到着。
既に数組のお客さんがいたが、お店側の席の案内もお好きな席にどうぞ‥と、ゆったりとした空気が流れていた。
そこでお座敷席を選んだ。
お座敷席はふすまで仕切られた小部屋がいくつかあり、掘り炬燵という作りで、大きな座卓が2つ。
ひとテーブルに4人でもゆったり食事出来る大きさの座卓だった。
もう一つの座卓にはサラリーマン風の方が1人でランチ中だった。
この日は、どんより曇りで日中でも10℃に届かない寒々しい日だった上に、店内は暖かくなかった。
私達は車でこの店に来て、コート類は着ていなかったこともあり、思わず『寒いね』と言葉が出てしまった。
すると、隣のサラリーマン風の方が、
『‥でしょう。実はさっき、開いていた窓を閉めてもらったんですよ。』
この小部屋はその方のおかげで、窓がきっちり閉まっていたが、他の窓は換気の為に少しずつ開けてあった。
掘り炬燵風の足元はじんわり暖かく、慣れてくると、異常に寒い訳ではないのだけど、コロナ対策も大変だなあ‥と、思った瞬間だった。
そのサラリーマン風の方が食事を終えて、退席すると、消毒スプレーを持った店員さんが食器を下げ、スプレーをかけて丹念に拭いていた。
時刻は12時をまわり、次は女性客が1人、隣のテーブルに座った。
特に寒いということもなさそうだった。
この方は、徒歩でお店へやって来たと思われ、しっかりコートを着こんでいたが、席につくと脱いでいた。
服装は、私達もその女性も薄手のセーターかプルオーバーという格好でも、私達は比較的薄着で、車でお店まで来たので、寒く感じたのかもしれない。
そういえば、東日本大震災が起こった年のこと。
原発が停止し、東電は計画停電など、電力不足の不安を煽るようなスタンス。
夏がやってきても、電力不足煽りモードはそのままだった。
しかし、スーパーの食品売り場は、ギンギンに冷えていた。
下手すると、例年以上に冷房が効いていた。
世間では、省エネが叫ばれているのに、何でこんなに冷房を効かせているの‥と、クレームを入れるお客さんがかなりいるようで、ある店舗では、クレームへの回答を掲示するスペースに貼り紙や放送で一生懸命に告知していた。
スーパーでは、今までは盛夏でも暖房を入れ温度調整をしていたのだそう。
それは、スーパーの食品売り場の半分は巨大な冷蔵庫と冷凍庫の扉を開けっ放しで置いてあるようなものなので、冷房を入れなくても、店内の場所によっては半袖では寒いぐらいの温度になってしまうらしい。
そこで、夏場でも、空調の為に暖房を入れてあったのだそう。
でも、この年は特に電力不足が深刻だったので、一斉に空調の為の暖房を辞めたので、ギンギンに冷えた食品売り場になってしまうとのことだった。
季節が移ろい、冬なっても暖房は最小限なので、店内でコートを着ていないと寒いぐらいで、
その状態が知らない間に定着したようだ。
息子達が幼かった遠い昔、車でスーパーに出かけた時は、店内が暑いぐらいの暖房が効いていたので、車の中にコートを置いて店内に入った記憶がある。
それと同じことを、今回お蕎麦屋さんに期待していたようなものだったなあ‥と、ふと思った。
今年ももう3週間足らずとなり、マスクが通行手形のようになり、仕事の進め方も大きく変わった人も多いと思う。
変えざるを得ないのは、原因が目に見えないコロナウイルス対策の為。
今回は感染の恐怖から、色々なことが大きく一気に変わった。
ついこの間まで、ちょっと熱があるぐらいで仕事を休めないとか、風邪薬のコマーシャルもそれを前提とした速攻性を謳うモノがあったほど。
今は、あらゆるところで、体温をチェックされ、そんな無理をしなくてよくなったのは、ほんの少しのコロナ禍のラッキーなところ。
でも、感染力が強く、自覚症状のないコロナ患者と同じ空間にいただけで、貰ってしまうかもしれない恐怖のババ抜き。
新しい生活様式は、医療関係の方はもちろん、多くの業界で苦労をしている。
ちょっと窮屈に思ってもマスク生活にすっかり慣れてしまったし、私自身は大きく生活が変わることがなかったのはとてもラッキーなことだと思う。
最近では第三波と思われる患者の増え方をしている。
コロナをもらわないように注意を払い、ばら撒かないように気をつけ、せめて医療関係者の足手纏いにならないように‥と、思っている。
来年の今頃は、どんな生活様式が定着しているのかな。
熱があれば仕事を休んで休養することが当たり前になったり、
衣服で充分対応できるのに過剰なまでの空調も辞めたり、
無駄だとわかっていても、慣習でダラダラ続いていたことを辞めるとか、
ほんの少しでもコロナ禍のラッキーな現象が有ればいいなあ‥思う。
とにかく、コロナが終息していますように。
(鴨汁そばのランチセット。美味しゅうございました😊)