はじめの1歩

子育て終了、時間と心の余裕が出来たのでイロイロ手を出してみます。

苦節◯年、わたしの部屋。

今週のお題「わたしの部屋」

 

最近、やっと私だけの部屋を持った。

主婦って損だよね。

どうしても家族優先になるから、個室も後回し。

今はフローリングの洋間に畳を敷いて、さあどうしようかなぁ‥という状態。

 

 

新婚さんの時は札幌市郊外の社宅住まいだった。

古いタイプの県営団地のような、エレベーターが無い4階建で、階段を挟んで2軒が向かい合う作り。

玄関をあけると、廊下も無くて、ふすまで間仕切りされたコンパクトな作り。

この社宅には、夫が独身寮から一足先に引っ越していたので、色々と、『やられた』ことが多かった。(笑)

当時の夫は、オーディオに凝っていて、真っ先にオーディオ関連を配置していた。

だから、スピーカーも変な所に設置してあり、ふすまを閉めることが出来なかった。

何でも、ここに置くと、音の広がりがいいとか、なんとか。

そうなの?なんて言いつつも、夫が会社に行っている隙に位置をずらすと、私がお風呂に入っている間にしれっと戻されていたり‥。(笑)

社宅の人間関係は良好で、うちに遊びに来た人はみんな『ドラ息子部屋』と、呼んでいた。

そのドラ息子部屋も、長男の誕生で、ベビーベットを入れると、スピーカーの位置にこだわる訳にはいかなくなり、ふすまを閉められるようになった。

また、長男の成長とともに、破壊怪獣と化していったので、スピーカーは注意していても、傷だらけ。

ドラ息子部屋は赤ちゃんに負けて大人しくなっていった。

 

その後転勤で現在住んでいる土地へやってきた。

この地には社宅が無いので、新築の賃貸マンションに入居した。

札幌の古い社宅と比べると、広いし綺麗だし、ラッキーと思ったのは最初だけ。

札幌の社宅は当時で築30年越えの古い建物だったが、北海道の冬を知らない内地(北海道以外)の入居者の方が多かったこともあり、全館暖房状態だった。

だから猛吹雪の日も社宅内は短パン半袖でも過ごせるほど快適だった。

それが、3月の異動で引越すと、暖房器具は持っていないし、エアコンはついていないし‥で、とにかく寒かった。

この地で次男も誕生し、2人の乳幼児から目が離せないので、せっかく広くなったマンションでも、リビングと隣の和室だけで生活するような毎日で、空調を考えると、リビングと和室以外はあたり前だけど冬は寒いし夏は暑いし(笑)、わたしの部屋を意識する日もなかった。

 

 

そして、色々と訳あって、このマンションに住んで1年ほどで、建売住宅を買った。

1階にLDK、和室にお風呂とトイレ、2階に洋室3つとトイレという、よくある建売間取りの我が家。

ここでも、息子達が目が離せないお年頃だったので、1階だけで生活するような毎日だった。

長男が小学校に入学する年にこの生活パターンに変化が出てきた。

夫が、けじめだから、長男に学習机を買うと言う。

良くわかっていなさそうな長男も、自分の机を買ってもらって大喜び。

せっかくの子ども部屋の誕生も、彼がこの机で勉強をすることはなく、物置と化していた。

年子の次男にも翌年学習机を買ったものの、長男と全く同じ。

相変わらず、1階で生活して、物置と化した子供部屋へはランドセルを置きに行くぐらい。

それでも、3、4年生になると、子供部屋で2人で寝るようになった。

その後は、大阪に転勤になり、マンション住まいに。

床面積が狭くなり、子供も成長しているので家具や荷物は増えているし、それこそわたしの部屋は、常に夫と一緒で、わたしの部屋ではない。

  

関東に戻り、一時的な仮住まいを経て建売の我が家に戻った。

息子達は高校生、2つの部屋は息子達に。

私と夫で2階の一部屋を使い、義母が大腿骨骨折の治療後同居することになり、リビング隣の和室が義母の部屋になった。

自分の家であっても、主婦のマイルームの後回しは、仕方ないし、専業主婦って損だよねを絵に描いたような毎日だった。

その後義母が亡くなり、長男が就職と共に一人暮らし開始。

ほぼ同じ時期に夫が早期定年退職をしてオンラインゲームじーさんに変身。

実は、これが結構ストレスになった。

今までは、それぞれが出かけたあと、掃除してリビングテーブル付近が私の居場所。

真冬なんてレースのカーテンも全開して温室のようになるリビングで過ごす数時間が至福のひとときだった、のに‥。

ゲームじーさんにリビングを占領されてしまった。

リビングテーブルで、1人でまったりする時間がゼロになってしまった。

フツーは、夫が部屋に籠もるよね‥と思っていたのだけどな。(笑)

 

 

そこで、2階の部屋の使い方を見直すことにした。

長男が使っていた部屋‥は、彼が大学4年の時にエアコンや照明器具が立て続けに壊れ、省エネ性能の高いものに買い替えていた。

それなのに、物置きと化していたので、次男にこの部屋に移ってもらい、次男が使っていた部屋を私の部屋にすることにした。

‥とは、言ってもお片付け、お掃除は実は嫌いな私にとっては、難題。

でも、次男には、夫譲りの『ドラ息子部屋』構想があったようで、彼にしては珍しくパキパキ動き、学習机も買い替えて、ゲーミングパソコンと、ノートパソコンと、プレステ4完備のドラ息子部屋を早々に作りあげていた。

あまり居心地を良くすると、子供部屋おじさんになってしまいそうで心配。(笑)

その、元次男の部屋には、まず長男の荷物を入れて、そのお片付け。

彼は全部捨てていいよと言ったものの、思い出系の片付けはハードルが高い。

結局は、クローゼットの棚にパズルのように押し込んで、見た目は何とかなっているけれど‥という有り様。

 

年齢のせいか、縁側のある畳のある家に憧れる。

朝ドラ前作のスカーレットの主人公のいかにも昭和初期のような物が少ない家が好き。

だから、やっと手にしたわたしの部屋は畳を敷こうと思った。

当初はホームセンターの置き畳を敷くつもりが、サイズが合わないし、加工をお願いすると、地味にお高くなる。

なので畳屋さんに来てもらって敷いてもらった。

部屋は、次男のお古の学習机と、折りたたみテーブルのみ。

ここまで来るのに2、3年かかっている。

当初は、昭和レトロな部屋にしようと思っていたけれど、力尽きている。

でも、学習机だけしか無い部屋も悪くない。

リビングにあるパソコンも、この部屋に持ち込めるようにノートパソコンにしたし。

パソコンは、まだリビングで使っているけれど、慣れてきたら‥と目論んでいる。

そして、今、座布団を2枚重ねてのんびり座りタブレットでブログを書いている。

昭和レトロの部屋ではないけれど、苦節◯年、わたしの部屋でまったりしている。

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街路樹のツツジが咲いていました。コロナ自粛の毎日でも季節は着実に進んでいます。