今年も、義母の命日が過ぎて行きました。
1年で最も寒いこの季節に、3回目の動脈瘤は遂に動脈瘤乖離を起こしてしまい、救急車の中で意識を失い、そのまま意識が戻ることなく数日後に亡くなってしまった義母。
やはり、寒い日は、不意に色々なことを思い出し、
時には懐かしく、時には申し訳なく思ったりします。
我が家は転勤族でした。
次男に聴覚障害があることが分かり、教育環境を変えたくなかったので、夫の転勤に備えて建売住宅を買いました。
双方の実家にお世話になるには、ちょっと狭くてお互いにストレスになりそうだったからで、夫には気の毒だけど転勤時には単身赴任してもらうつもりでした。
たまたま転勤でやってきたこの場所は、東京駅を中心に円を描いた場合、距離的にも割安だし、1年社宅で暮らして『トカイナカ』っぷりも程よく感じていたので、勢いで決めた感じでした。
幸い、転勤族でありながら、夫は転居不要な異動に配慮してもらえ、次男が中学生になるまで この建売住宅に住むことが出来ました。
その後は、大阪に転勤になり、家を貸して家族で引越したり、想定外に早い帰任で隣街で家を借りたり、夫が大病を患ったり‥。
その間に息子たちも高校、大学、就職‥と、怒涛の毎日を過ごしていました。
息子達が幼い頃は、よく30分に泣きました。
次男に聴覚障害があるので、年子の兄弟なのに、別々の学校に行くからです。
次男の方が学校は遠いし、送迎が必要で、長男を送り出すと、次男と一緒に通学します。
帰りも迎えに行き、綱渡りのような時間的には稼ぎの無いパートさんのような毎日を送っていました。
それでも、長男の帰宅に間に合わないことがしばしばあります。
検査などで、とんでもなく遅くなるのが分かっている時は、実家や義母に留守番をお願いましたが、往復3時間かかるので、そうそう頼めず、市の格安のホームヘルパーさんに、長男の送迎、お留守番をお願いをしていました。
両隣の家や、ご近所は年齢が一回り上で、お子さん達は受験生のお年頃。
塾の送迎でピリピリしている雰囲気だったので、たまにでも、我が家の悪ガキをお願い出来る状況ではありません。
時間にして30分の空白を埋める為にホームヘルパーさんにお願いしたり、小学校にあがると学童保育にお世話になってしのぎました。
これは、お世話になる長男にとってもストレスだし、金銭的にも結構ストレスです😅
2世帯同居や近居で住んでいたら、こんなことでストレスを感じなくていいのになあ‥と、羨ましく思ったものです。
今、2馬力で働くのが当たり前になり、核家族のファミリーにとっては、過去の私達のような時間的に綱渡り的な生活になっている人って多いのではないかな‥と感じます。
もう少し双方どちらかの実家近くにすれば良かったなあ‥と、何度も後悔しました。
時が流れて、息子達が大学生になった頃、義母が大腿骨を骨折し入院しました。
お医者さんや、リハビリの先生方、皆さんが絶賛する回復ぶりを見せて、外では車椅子が必要だけど、家の中は、狭さが幸いして杖や手すりをつたって何とか自分のことは自分で出来る状態までになりました。
それまで、義母は一人暮らししていましたが、流石に心配です。
コンパクトな建売4LDKですが、リビングの横の和室を整理して同居することになりました。
同居が始まっても、トラブルは無かったのですが、やっぱり家が狭くて、私は1人になれる時間とスペースが無くなってしまったことがストレスになっていました。
当時息子達は大学生で大人ばかりの世帯で、みんな自分中心に生活して、私は賄いのおばちゃんのような生活でした。
それでも決まった時間に会社や大学やデイサービスに行かなくてはならないんだから仕方ないよなぁ‥と、思いつつも、微妙に時間がずれるので、結構ストレスになっていました。
息子達が幼い頃は、どちらの親でもいいから近居か同居の方が楽かも‥なんて思った気持ちは吹き飛んでいました。
でも、私よりストレスを感じていたのは夫のようでした。
自分の母親と同居を始めたのにもかかわらず、『何処かの知らない小さなおばあちゃんがうちにいる感覚なんだよね。』と、言うのです。
夫は、就職後は会社の独身寮住まいで、結婚後は核家族の転勤族。
義母と親子として暮らした時間より、実家を出た時間の方が遥かに長くなっていたので、いきなり親の老いを見せられた気分になっていたようでした。
そんな感じなので、年寄りの生態(?)が今ひとつわからないので、よかれと思ってしたことがお互いに裏目出てしまったり‥ということが時々起こりました。
その一つが義母の重度の乾燥肌。
かなり痒みが強かったらしく、寝ている間に無意識に掻きむしり皮膚が弱くなっているので血だらけになっていました。
でも、本人は、血だらけの下着を私に洗わせるのを悪いと思ったらしくこっそりデイサービスに持っていき手洗いしていました。
それを見つけた職員が、家庭内の虐待も半分疑っている雰囲気で、いきなり面談とか、かなり感じ悪い対応をされたりもしました。
結局、皮膚科のお医者に診て貰うと重度の乾燥肌で、ワセリンを塗るだけでいいよ‥とのこと。
でも、全然良くならず、年齢が原因かなあ‥と思っていた矢先、義母が体調を崩してしまい、入浴を2日控えたところ、嘘のように乾燥肌が改善しました。
義母はお風呂が大好きでしたが、デイサービスでは過去の手術瘡があるので入らず、幸せそうに毎日うちのお風呂で長湯していました。
同居前は、お風呂屋さんがすぐそばあったので、冬場は1日おきにお風呂屋さんに行っていたのに、同居してからは、毎日長湯。
これが酷い乾燥肌の原因だったのです。
まさに怪我の功名だよね‥なんて思いながら、少し年上のお友達にこの事をお話すると、
『そんなの当たり前じゃん。また、熱いお湯に浸かってたんしょ。』(その通り。)
その後義母が亡くなり、今は65歳の夫が唯一の高齢者になったわけですが(笑)、
今まで、身近に高齢者がいない生活をしてきているので、毎日が未知との遭遇です。
やっぱり、核家族ってお気楽ではあったけれど、歳をとるプロセスを見る機会がなかったので、この先は、またきっとおマヌケなことをしてしまいそうです。
1番の理想は、お互いの相性が悪くないという前提で、程よい距離を取れる環境でお互いにマイペースに同居出来ることかなあ‥。
って、やっぱり難しいですね。
でも、同世代の友人達の認知症介護の話を聞くと、核家族で未知との遭遇でも私はラッキーだな‥と思っています。