昨日は義母の命日でした。
小春日和の今日のような日は6年前のことをあれこれ思い出します。
義母と同居して半年、お互いに生活パターンに慣れてきた頃でした。
同居を始めた頃、一気に終活をしているのでは?と思うほど、
急に墓参りに行きたいと言って、その場でお寺の事務所へ行ってお墓の管理名義人を夫へ速攻で変更して、更に自分の葬式は、うちファミリーと夫の弟夫妻だけでやってねと、何度も言い‥。
そんな縁起でもないこと言わないでよ、と、話していたのに、
3回目にできた動脈瘤は、手術出来ずに破裂してしまい、救急車の中で意識を失い、
回復することなく亡くなってしまいました。
お葬式は亡くなってから1週間後になりました。
この年は、斎場がお正月の3が日をしっかり休んだので順番待ちになっていると言われ、普通お正月にお葬式しないよね、なんて思ったものの、高齢化社会というか、多死社会に突入しているんだなと思ったものです。
亡くなってからお葬式まで時間があったのは幸か不幸か、葬儀屋さんとしっかりコミニュケーションをとって本人の遺志どおりに運べたように思います。
葬儀社の霊安室に毎日通い、なんとなく顔見知りになっていたせいか、
葬儀の際の進行のナレーションも、こんな事話たっけ?というエピソードも入っていました。
義母は、とても優しい人でした。
そして、義母にとっては初孫の長男には超甘甘でした。
長男は♪ちっちゃな頃から悪ガキで15で不良と呼ばれたよ♪
いえ、不良ではありませんでしたが、あっちこっちで叱られていました。
でも、義母は、1度も叱ったことがなかったのです。
まあその頃はたまに顔を合わせる程度でしたが、同じ条件の私の実家の親はガンガン叱っていたので、やっぱり優しいですよね。(笑)
どうやらその話を、葬儀屋さんが長男から直接に聞いていたようで、葬儀のナレーションにさりげなく入っていました。
葬儀は所謂、家族葬という形をとって行い、参列者は、うちファミリーと弟夫妻と葬儀社の方数名という感じでこじんまりと行われました。
その時、長男にとって自分のことを叱らなかった唯一の人がおばあちゃんだというエピソードがナレーションに挟まり、親族ではない人の涙腺まで崩壊させました。
もっとも、その時の長男は、大学生になって髪は真っ金金。いかにも、遊んでいそうとか、悪そうとかという印象で、その彼が涙を浮かべていたので、
悪人の善行‥というのはちょっと違うけど、ギャップ萌え?でもないけど、
彼の外見が影響していたと思います。
その様子を見て、お経をあげに来ていたお坊さん(菩提寺の住職は遠方なので、葬儀屋さんが手配してくれた初対面のお坊さんです。)が、
お経の説明やら宗派にまつわる死者への話などを一通り話をした後に、
『これは、宗教には関係なく、私個人の考えなのですが、
この世は魂の修行の場なんですよ。今頃、おばあちゃんはあの世に戻り、この世での生き方を振り返っていることでしょう。そして、生まれ来る前に自分で決めたテーマを克服できたかななんて思っている頃でしょう。可愛い孫に会えてこんなに思って貰って喜んでいますよ。』と、話をされました。
この話で更に涙腺大崩壊となりましたが、
輪廻転生の考え方を個人的にされているのかななどと思いながら、涙腺大崩壊の後は、悲しみがかなり和らいだ思いがしました。
私は、生まれる前にどんなテーマを決めてこの世に修行にきたのでしょう。