はじめの1歩

子育て終了、時間と心の余裕が出来たのでイロイロ手を出してみます。

お葬式なのに、笑ってはいけない地獄。

前回、義母のお葬式の話を書きました。

そのお話はちょっぴり、しんみりモードでしたが、うちの家族はアホなのか、

そのお葬式でも家族4人揃って『笑ってはいけない地獄』に落ちていました。

 

義母のお葬式は家族葬で行いました。

今ではかなり一般的になってきましたが、6年前のことでしたので、特に年配の人には家族葬はあまり認知されていないようでした。

義母が家族葬を望んだのは、我が家で同居することによって、親戚、知人の住まいから、電車でも車でも2時間近くかかってしまう地理的な理由が大きく、

義母は88歳でしたが、親戚、知人はみな同年代か更に上。

昔気質の人達なので、訃報を聞けば無理をしてでも駆けつけて、身体を壊したりでもしたら申し訳ないないので、

自分のお葬式はうちと夫の弟夫婦だけでやってね、ということでした。

それで、結果的に家族葬となったのですが。

夫の弟夫婦とは、あまり行き来がなかったこともあり、夫が義母に

『そういうことは、彼らにも話しておいてよね。』と、事あるごとに言っていました。

でも、話をする前に、突然亡くなってしまったのです。

案の定、揉めました。

弟夫婦にとっても、『家族葬』は、非常識に映ったらしく、勝手に親戚に連絡をとっていたのです。

斎場の都合で1週間以上の時間的な余裕があったことが幸いして、親戚には義母の遺志をお話し納得してもらう事ができました。

最期のお別れをしたかったと、不満気な方が一人おられましたが

他の方は、皆理解してくれ、『本音では、助かった。』と、言って下さる方が殆どでした。

そんな訳で、こじんまりと、弔問客に気を使うこともなく、気持ちを込めて義母を送ってあげることは、出来ましたが、弟夫婦とは嫌〜な感じになってしまいました。

 

そして、通夜の席で、お坊さんがお経をあげ始めたその時のことです。

不謹慎な話ですが、普段宗教など縁遠い生活をしているので、宗派も分からず、

仏壇のお位牌を葬儀屋さんが見て、◯◯ですね、と、確認した程。

なので、どんなお経なのか、そもそも分かっていませんでした。

そのお経の第一声が素っ頓狂な変な節回しだったのです。

それまでは、神妙な気持ちだったし、色々なことを思い出して涙が溢れてきたりしていたのですが、その第一声で、笑ってはいけない地獄に落ちてしまったのです。

ここで笑ったら大変だわ、とか。

息子達の前で笑うとか粗相をしたくないわ、とか。

今ここで笑ったりでもしたら弟夫婦に何言われるか、とか‥。

その先のお経の声が耳に入ってこない程、いろんな思いが一瞬にして駆け巡り、

もう無性に可笑しい、でも笑うな!という地獄が大きな口を開けているのです。

ふと、隣の長男を見ると、膝に置いた拳が震えています。

もしや、こいつも。なんて、ちらっと横顔を見ると、目が三日月になってる!

しかも目があってしまった!万事休す。

その後は、私も長男もひたすら声を出さないように下を向き肩を震わせ、

自分との闘いの始まりです。

お経の半分近くをその闘いに費やし、落ち着くと、涙と自己嫌悪でした。

 

通夜が終わり帰りの車の中でのこと。

夫が、実は笑ってしまいそうで大変だったとカミングアウト。

原因は、やっぱりあのお経の第一声。夫も喪主として緊張と悲しみの中であの声を聞いた瞬間に笑ってはいけない地獄に落ちていたとのことでした。

そして、夫の隣に座っていた次男の耳にも、笑いを誘うお経に聞こえ、

彼もまた、笑ってはいけないと必死に耐えていたらしい。

夫と次男の後ろに座っていた私と長男も、大変なことになっていたし。

なんて、おバカな家族なんでしょう。

 

そして、最大のピンチが翌日のお葬式。

『普通、お通夜とお葬式ってお経は一緒なの?』うちのおバカな家族はそう思ってもその話題を避けていました。

そして、お坊さん登場。

くるぞ、くるぞ。そして、やっぱり来た〜。

昨日と同じ節回しでお経は始まりました。

こともあろうに、私の前に座った夫の肩が、小刻みに震えています。

斜め前に座っている次男は、膝に置いた手が震えています。

私の隣では、長男が三日月になった目でこちらを伺っています。

後で話を聞いたら、『お父さんはお経が始まる前からニヤニヤしているのが、斜め後ろからバッチリ見えてしまった。そして、案の定‥。』

勘弁してよ。

結局4人ともお経が始まってすぐに笑ってはいけない地獄に落ちていたのです。

夫の弟夫妻は通路を挟んで離れて座っていたので、彼らの様子がどうだったかなんて分かりません。

むしろ、離れていて良かったと思っていた程でしたから。

お経の出だしは、私達家族の笑いのツボの、どストライクでしたが、

宗教観からの義母に向けてのお話や、個人的な考えとして話された輪廻転生を思わせることなど、私達に寄り添って下さったお坊さんでした。

 

ちなみに、納骨の時は、霊園のお寺のお坊さんが取り仕切ってくれましたが、宗派自由の霊園だったこともあり、ちゃんと対応してくれるということだったのに、

宗派を間違えていたのではないか疑惑が浮上しました。

その間違いに気がつくきっかけが、あの節回しが無かったから。

でも、うちの家族は、あのお坊さん独自の癖なのかなどと思いながら、それぞれが聞いていたようです。

弟夫婦も特に何も言わないし、間違いではなかったのかな。 ‥と、思うことにしようとなって今日に至ります。