我が家の息子達は年子。
揃いも揃って、今時珍しく浪人生を経て大学生になりました。
センター試験の季節になると、もう6、7年前になってしまう話だけど、受験生の親ってハラハラドキドキするしかできないけど大変だったことを思い出します。
次男は公立の高校に進んでいました。
聴覚障害があり、中学校まではろう学校で学んでいたので、長男以上に受験に関しては世間知らずに思われていたようです。
次男の時も、浪人回避の受験指導をされていました。
三者面談でも、彼の志望大学は、記念受験扱いをされ、またもや、
『浪人しても大学生になれる保証はない。』と、長男の時と同じ対応でした。
私学の長男も公立の次男も、殆ど同じ考え方の受験指導だったので、きっと今時の指導は浪人回避して何処でもいいから押し込むという感じなのでしょう。
でも、それって、高校の先生の怠慢のような気がしていました。
多くの人が、大学受験をすれば最終学歴になるのに、受かっても嬉しくないところでも浪人よりマシでしょっていう受験指導って、やっぱり怠慢だし、変だよね。
などと、我が家では考えていたのですが、浪人生のプレッシャーもやっぱり大きくて
とりあえず合格を勝ち取った時の安堵の気持ち、今でも神様ありがとうって思うほどです。
我が家は、夫の転勤で大阪で暮らしていたことがあるのですが、次男は大阪が大好きになり、もっと長く大阪に居たいと思っていたようです。
だから、大阪の大学に行こうと思っていたみたいで、
ある日、『大学は関関同立のどれかに行きたい。』
『何も大阪に行かなくても、東京にも関関同立ぐらいいい大学いっぱいあるよ。』
『ホントは大阪に行きたくて、関関同立しか知らなかったんだ。』
『下宿のお金がかかるから、せめて国立だったらね。まあ大阪大学だったらいいよ。』と、夫。
勿論、夫は冗談で言ったつもりだったのに、次男は、高校1年の時の進路希望調査にしっかりと大阪大学と書いて先生方の印象に残っていたようなのです。
でも、模試の結果はE判定(合格の可能性は低く志望校変更すべき)。
その時初めて、東大、京大並みに難しい大学と気がついて苦笑い。
そこから先は、現実を見据えて彼なりに頑張っていましたが、結果は長男と同じで全滅のち、浪人生になりました。
次男は聴覚障害があるので、リスニングがあるセンター試験では、あらかじめ医師と相談して対策を申請します。
補聴器を付けても殆ど聞こえないレベルなら、筆記テストの得点から判断してリスニングの点数を加点してくれるらしいのですが、彼の障害者手帳の等級からは補聴器を付けたら聞こえるでしょという判断となり、リスニングだけ別室で音源のボリュームの調節ができるように配慮してもらうことになりました。
リスニングのない試験では、情報伝達のモレがないように、試験監督官が目配りしてくれ、大抵席は、一番前に指定されていたそうです。
聴覚障害の等級と言っても、客観的に数値化できるのは、音の大きさだけで、音としては聞こえるけれど言葉としては聞き取れないということは本人のみぞ知る世界なんですよね。
だから、彼にどんな風に英語が聞こえているのか、私にはわかりませんが、点数的には苦戦していたようです。
でも、この時は、迷ったら問題用紙の挿し絵に正解が表現されてるぞ、という長男のアドバイスに助けられたとか。(ホントかいな。笑。)
彼もハラハラドキドキの受験シーズンでしたが、毎回、席が一番前だったせいか、(後方の席に風邪ひきさんがいたら菌は前に行くから、前の席はリスクだとかなんとかテレビでいってたけど、ホントかいな。)
終盤では、風邪を引いてしまい本命の大学は微熱がある状態でチャレンジ、玉砕となりました。
結局、長男と同じ大学の別の学部に決まり、私的には、大ハッピーエンド。
次男にとっては、長男は永遠のライバルらしく同じ大学で微妙な顔をしていましたが。
ここ数年、浪人生が増えてきたようですが、現役生でも、浪人生でもプレッシャーは相当なものです。
親は、験担ぎと、遅刻しないように叩き起こすぐらいしかできませんでしたが、
頑張れ、受験生。