少し前のことですが、久しぶりに学生時代の友人に会ってきました。
前回会った時は、子供達が小学生だったよね。
元気だった?
変わってないね。
などと、お互いの近況を報告して、お互いの子供の近況も報告して、
楽しいひとときを過ごしました。
友人達の子供達も無事に就職して、ぼちぼち結婚、お孫ちゃん誕生というライフステージに立っています。
最近の事件を思うと、フツーに大人になって、フツーに社会人になってくれてホントに幸せだし、ホントに良かったと心から思います。
うちは年子の男の子2人で、次男は聴覚障害があり、中学校までろう学校に通いました。
そのことを、カミングアウトすると、大抵初めて聞いた人は、アンタッチャブルな領域に踏み込んでしまったというか、地雷を踏んでしまったかのように、なんか悪いこと聞いちゃったオーラを感じることがあります。
無理もないですよね。
私自身、次男の耳の障害が確定するまで、病院に行ったり、障害者の療育施設で訓練に行った先で、世の中にこんなに障害のある人がいるのに、今まで見かけることがなかったことに驚いたぐらいですから。
フツーに公立の学校に行き、フツーに大人になると、障害のある人と接する機会はほぼなく、もし、次男の耳がちゃんと聞こていたら、ろう学校とか盲学校などの特別支援学校と聞くと、なんだか大変そう、気の毒にっと思っていると思います。
でも、うちの場合は、健聴者の長男の方が大変だったかも。
よく言う、障害者の兄弟問題(親が障害のある子供の育児だけで精一杯になり、兄弟はほったらかしになった結果、色々問題が起こる。)という話ではなく、
長男は『強烈なお兄ちゃん』『末は大物か犯罪者か?』でしたから。(笑)
ヤツは幼稚園から小学校はまさにクレヨンしんちゃん。
私自身、そういう「クソガキ」実は嫌いではありません。
自分自身が、学園ドラマのキャストだったらエキストラか、名前のない役だろうなという手のかからない子供だったこともあるけれど、自分の子供ながら、大変だけど、ある意味こいつ凄いな、みたいな感じで。
でも、大きくなるにつれて、交友関係が心配になってきました。
見るから数年後はヤンキーまっしぐらだろうなというオーラをまとった子供とばかり遊んでくれます。
で、喧嘩して学校に呼び出されて、母親を見て『やっぱり』みたいな。
中学生になると、もれなく『中2病』を発症したものの、クラスの女の子に眉の整え方を教わってきたりしました。(都合のいいことだけだろうけれど、)ちゃんとお話してくれていたから、まあいいか。
今でこそ、男の子も眉毛を整えますが、当時は目立つ子しかやらなかったしね。
それに結構失敗して「まろ眉」になっちゃたり。
次男を練習台にしてキレイな「アムロちゃん眉」にされたのは困りましたが。(笑)
高校生になると、校則厳しめの私学だったのですが、厳しすぎる頭髪検査と戦い、当時流行りの腰パンでローファーの踵を踏み潰してサンダルのようにしていました。
親から見ると、『馬鹿でーす。』と、カミングアウトしてるようなもんじゃん、と思うのですが、本人は必死。
それでも学校が近づくと、踵を戻し、校則ギリギリにズボンを直していたっぽいので、なんか笑えます。
しかも、通学の電車の中で、見ず知らずのお節介おばちゃんに、『あんた、パンツ見えてるわよ!』と、でかい声で注意されたと憮然として帰って来たりして。
大学受験は、世間を舐めくさっていて全滅。
予備校に行っても、サボって初売りの行列に並んでセンター入試で発熱したりで、やっぱり何かしらやらかしてくれます。
晴れて大学生になっても、金髪にしてみたり、ご近所から見ると、かなり残念なお子さんに見えていたようです。
ある日、小学校の登校班で知り合った方に偶然会った時、「お兄ちゃん今何してるの?」
「早いもので大学生です。」
「今は、名前を書けば大学生になれる所も多いみたいだしね。」(ひどい‥)
やっぱり金髪だから馬鹿でーすってことかな。
人は見た目が9割って言うしね。
でも本人曰く、都の西北のあの大学の方が金髪率が高かったとか。
今まで勉強に明け暮れてきた反動で大学生デビューで金髪にしちゃうパターンだよ、とかなんとか。
まあ、この話は、長男の中学の担任の先生も同じこと言っていたし。(その先生も大学1年で金髪にしたと言ってたしね。ププッ。)
なーんて話を、友人達と交互にしていると、
『なんか、肝っ玉座ったお母さんになったんだね。私、腰パンとか金髪とか無理。とりあえず、受け入れても、結果、立派にまともに育ったもんね。』
(褒めてくれてるんだよね。)
『高校や大学でいきなり、弾け出したら、呑気に笑ってられなかったと思うよ。
ヤツは小さい頃から色々とやらかしてくれたから、免疫というか、徐々に耐性がついたというか。』
ヤンキー耐性は1日にしてならずってことですね。