先日、夫と某総合病院へ行ってきました。
私は付き添いですが。
半年振りの診察です。
もちろん異常なし、多少の後遺症は仕方なし。
先生には『良いお年を』と言って診察室を出ました。
思えば11年前の春、喉のガン 、ステージ4と診断され、
再発予防の抗がん剤、
再発、外科手術、長期入院、リハビリ‥。
大変で不安な毎日でした。
息子達は高校1年、中学3年、先の不安もありました。
もうこんな思いは嫌だし
当の本人はあまりの過酷さに記憶が部分的に
抜け落ちているようです。
夫も私自身も、この時までお医者さんと縁がなく
突然降って湧いたような病気の宣告に
『ガーン』という状態どころか、呆然自失。
あの時のショックはもう思い出したくないほどです。
この日も待合室は大混雑。
朝9時の予約で他も診察室は診察が始まっているのに
夫の担当医はまだ診察室にも居ない雰囲気。
お医者さんって大変なんですよね。
夫が入院した時にその大変さを目の当たりにしました。
特にに夫が再発して外科手術になってしまった時は
あさの9時から夜中までの大手術となったのですが、
執刀医の先生は翌日も朝から外来診療。
しかも週2回しか診察日がないので常に大混雑。
夫の入院中はまず術後1週間は集中治療室でした。
手術の部位が口の中なので、なるべく意識を戻さず
傷の修復を図りたいという方針だったと思います。
それで、私は集中治療室の近くに待機していたのですが‥。
『先生、仮眠はされたんですか❓』
なんて会話もそこそこに先生の院内用の携帯もピリピリ鳴り出し、
入院中の患者の様子を診にいき集中治療室に舞い戻り
そうこうしているうちに外来診療時間に。
この慌ただしい様子を見ていたので、
診察開始時間がとっくに始まっているのに
まだ誰も診察室に入っていかなくても
重症患者さんがいるのね‥と待つことが出来るようになりました。
15分遅れぐらいで診察開始。
最初に呼ばれたのは初老の男性。
先生の声は大きいので、時々、検査とか手術とかMRIとか
恐ろしいワードが微かに聞こえてきた。
可哀想に、ショックだろうな‥と思うと同時に
これは待つな‥と覚悟をきめることに。
夫があの忌まわしい病気を宣告された時も
先生は丁寧に説明してくれ、
ショックで思考回路も普段以上に悪く
きっとトンチンカンな質問や同じ事を聞いていたと思います。
『では別室で検査日程を組みましょう』と
看護師さんと診察室を出た時は1時間以上も経っており
待ち合い室の患者さんに睨みつけられたのを
思い出します。
あれから11年
2度目の手術を無事に終えてまる10年。
はじめは、悲観的なことばかりいう先生の顔も見たくないほどだったけれど
夫の命の恩人。
ここ数年は、放射線治療の後遺症があるけど
『あの状態から命があるんだからいいでしょう』
なんて言われて、本人も笑っている。
後遺症といっても、極普通に生活出来ているんだから感謝感謝。
本人はちょっと不満に思っているようだけど
側から見ると普通に食事して普通に喋れて。
顔に手術傷跡があるのはご愛嬌。
息子達は『極道様』 と呼んでからかっていたけど(笑)
唯一良かったのは、『病気ダイエット』
習近平みたいにおデブだったのが
ライザップ後の梅沢富美男に大変身。
本人は否定しますけどね。