O先生は、夫の命の恩人です。
今年も、1年に1回になった検診に行ってきました。
O先生との出会いは、かれこれ13年前になります。
当時中学生だった次男の病院の付き添いに行く予定の私に急用ができて、代わりに夫が急遽、付き添うことになり、ついでだから自分も診てもらおうと思いつき‥。
そしたら、何と、痛くも痒くもない首筋のリンパ腺の腫れは怖い病気でした。
次男は、学校への診断書を書いてもらっておしまいでしたが、夫の方には、あれほど激混みの病院なのに矢継ぎ早に検査の予約が入り、入院の予約も指示されました。
不安な気持ちでいくつかの検査を終えて、次の診察日のこと。
『病院に来てくれて良かったです。
あと、1か月来るのが遅かったら、ホスピスを紹介するしか出来なかったんですよ。
あの入院の予約は、生検精密検査の為の予約です。
一緒に頑張りましょうね。』
O先生、凄いことをさらりと言ってくださいました。
まさに頭の中は「ガーン」という感じで、真っ白。
それから、病気のこと、治療法のこと、丁寧に説明してくれました。
夫婦ともにかなり動揺していたので、きっと同じようなことを何度も質問したり、的外れなことを質問していたと思います。
ショックながら、話を理解して診察室から出た時は1時間以上経っていました。
外来診療の1コマですから、診察を待つ他の患者さんの視線の冷たいこと。
それから、本格的な治療が始まりました。
病巣は喉でしたが、リンパ腺に転移していたので、ステージ4。
この病は、同じステージでも人によって予後が大きく違うし、しかも4ということで、
O先生も甘いことは言えません。
『医者という人種は、こんな残酷な言い方しか出来ないのか』とか、
『同じことを言うにしても、希望を持たせる言い方だってあるのに』などと、
今にして思えば八つ当たりですが、私は、O先生の顔を見るのも嫌でした。
夫も、見るからに激務そうなO先生に対して『言い方ってモンがあるだろう。』と、病室で言い争いになったこともあったようですが、丁寧に対応してくださるので、全幅の信頼を寄せるようになっていました。
治療は、放射線治療で寛解を勝ち取ったものの、再発予防の抗がん剤を始めた途端に再発(再燃)してしまい、結局外科的な手術を受けることになりました。
手術は朝の9時から始まって終了は夜中の3時。
放射線治療を目一杯していたので、余計大変だったようです。
しかも、数日後、やはり放射線の影響か、移植した血管がダメになっていて、再手術。
本人は、集中治療室で、10日間ぐらい全く意識が無いので、この修羅場を知りません。
手術の途中、O先生は、経過説明をしに2度ほど、控え室に来てくれました。
診察の時、『この病の原因は酒とタバコですよ』なんて言っておきながら、先生もタバコ吸ってるんだ‥と思うほど、タバコの臭いがプンプンでした。
ママ友関係でも、看護婦さんやデパートにお勤めだった方の喫煙率が高かったので、O先生も、ストレス解消なのかなあなんて思ったものです。
手術や、その後のリハビリはとても大変だったのですが、幸い、大きな後遺症もなく普通の生活を取り戻すことが出来ました。
大きな病になると、お医者さんだけではなく、本人や家族も大きな選択を迫られることもあります。
その選択を誤ると、命に関わってしまうこともあります。
夫の場合は、今後一生、声が出せない、口から食事をすることが出来なくなる可能性がゼロではないと、言われていました。
『でも、ゼロに近いからそんなに心配しなくて大丈夫』
こんな会話をO先生と出来るようになったのは、夫が患者になって数ヶ月後でした。
やっと私のことも信用してくれたのかな。
‥と、いうのも。
それまでいくつか、治療法に迷うこともあり、セカンドオピニオンの為の資料をお願いしたこともありました。
そのセカンドオピニオンのお医者さんに言われたのが、
『医者にとっては、患者本人より家族や配偶者が怖いんですよ。患者は、上手くいかなかったらこの世にいないけれど、家族はね。訴えるとか、いろいろな人がいるから。』
勿論、O先生のことを信頼していたので、万が一でも訴えるなんて微塵も思っていなかったのだけど、それなら甘いことを言えないよね。
『万が一訴えられたら、患者の希望であっても標準治療ではない方法をとっていたら、裁判では医者が負けるからね。だから、きっちり標準治療するしかないんですよ。
それが、嫌なら、家族が、何があっても訴えませんって一筆入れるぐらいでなくっちゃ。』
そうだったのか。
確かに、入院中の病室にもいろいろな人がいるのを見かけたし。
お医者さん、そこまで心配して、更に患者さんの心配して、手術の翌日は、殆ど寝ていないだろうに、外来診療があったりして。
それまで、お医者さんと無縁だったので、こんなにも大変だったとはつゆ知らず、外来診療は予約があっても1時間遅れとかザラだったし、不満に思っていたこともありました。
それからは、見る目が変わりました。
あの大きな手術から10年以上経ち、きっと完治といってもいい状態です。
でも、放射線治療の後遺症が少しあり、1年に一回診てもらっています。
今回も、『命があるんだから、いいじゃない。もう一回手術台に乗る?』なんておちょくられつつ、無事に診察を終えました。
O先生は、多分、私と同い年ぐらい。
激務でストレスが多そうなのは、充分に想像がつくし、病院内でも偉くなっているようでした。
O先生、どうぞ、お身体大切に。
おまけ。(蛇足になりそうなんだけど。)
O先生って、ゲゲゲの鬼太郎に似ているのです。
しかも手は、がっちりまんまるで、ドラえもんの手みたいで。
でも、そのドラえもんの手はゴッドハンドで、夫の命の恩人なんです。(笑)
今朝、つけっぱなしのテレビで、久しぶりに鬼太郎を見て、O先生を思い出し、感謝を込めて書いたつもりです。(笑)
(下の画像は、ゲゲゲの鬼太郎のホームページより)