はじめの1歩

子育て終了、時間と心の余裕が出来たのでイロイロ手を出してみます。

わざと難しくしている?年金請求書類。

年末に年金事務所より、大きな緑色の封書が送られて来ました。

大切なお知らせです。(開封して必ずお読みください)と、書いてあるので、ちゃんと読んだのですが‥。

『もう、相手にわかり易く説明する気持ちないでしょう?』と、思ってしまいました。

『お役所構文』というのか、ホント、『ワケワカメ、意味フミコ』の連続の、私の年金請求書類の作成の顛末の備忘録です。

 

私、自分の年齢に改めてびっくりしていますが、3月に62歳になります。

62歳になると、条件はあるものの『特別支給の老齢厚生年金』を受けとる権利が発生するんですって。

年金というのは、権利が発生しても、申請手続きをしなければ受け取ることができません。

‥ということで、請求手続きの為の手続き用紙が送られてきたというわけです。

まず、「老齢」の単語に少なからずショックを受けた図々しい私。

正真正銘のばーさん道を着実に進んでいるんだなあ‥と、しみじみ思った瞬間でした。

封書には、年金請求書類一式が入っていました。

ざっくり読むと、いくつかの添付書類が必要なので、まずは区役所で必要な書類を揃えてから、年金事務所に行って相談窓口で、教えてもらいながら書いてちゃっちゃと提出すればいいかなあ‥ということにしたのですが‥。

 

いざ、区役所へ。

申請用紙の他に、用意すべき添付書類を判定するチャート書類が入っていました。

配偶者はいますか?

子供はいますか?(子供の定義あり)

厚生年金に加入していた期間は?

‥などの質問に答えていき、その都度必要な書類が判明していきます。

ただ、ちょっとわかりにくい‥。

書類には隅っこに62歳用と書いてあり、62歳の人に一斉に送っているんだろうし、人生色々だから色々なパターンを想定してあるので仕方ないのでしょう。

でも、普段、住民票やら戸籍謄本やら戸籍抄本などと縁がない生活をしていると、複数の書類を列挙してそのいずれか‥のような表現だとかえって迷ってしまいます。

区役所も地味に混んでいるし、二度手間になったら嫌なので、窓口の人に、チャート表を見せて一緒に確認して貰いました。

今、区役所窓口業務も外注しているようで、別会社の名札をつけた職員の方でしたが親切に対応してくださり、無事に必要書類を揃えることができました。

ただ、窓口業務の人も迷っていたのが、課税証明書。

私の場合は、仕事をしていないので、非課税証明書を取ればいいのですが、年金事務所の書類には、『62歳誕生日の前日以降もの』という一文が付いておりそれが引っかかりました。

私の誕生日は3月なので、今書類を取ったらダメなのではないか‥。と、窓口業務の方が気がついて、区役所の年金課の職員に聞いてくれたり、電話で問い合わせてくれたり‥。

で、結局、理由はよく分からなかったけれど(笑)、他の書類と、同じタイミングでとっても大丈夫ということで、区役所で集める書類は無事に用意できました。

 

その次は、自分で判断して書けるところは記入しておき、窓口相談を利用するにしても、あまりにわからんちんでは申し訳ないので下調べしておいた方がいいよね‥という気持ちになりました。

年金の請求書類なんて、多くの人は人生で何度も記入するものではないのに、作りがかなり不親切な気がします。

多分、書類の元本を作った人が、年金事務所一筋でお仕事してきて他の書類を見たことがないんじゃないの?と、思ってしまうほど、『内向き』な印象です。

そこで、少しでも迷うところは記入せずに、恐る恐る書き進めていきました。

本人情報の記入欄が終わると配偶者の年金事情についても記入しなくてはなりません。

年金番号がわかる書類コピーが必要などは、仕方ないとしても、いつから年金を受給しているか‥など、年金事務所で端末を叩けば書けるようなことまで記入しなくてはなりません。

振り込み先の銀行の通帳を遡って確認したり‥と、結構手間がかかりました。

色々と、書き進めていくうちに、そもそも年金の知識がないので、iPad片手に、年金事務所ホームページを見て、『?』を調べていくと、新たな疑問も湧いてしまいます。

年金の仕組みもよくわかっていない私から見ても、結構改定があり、知らない間に『改悪』になっているような‥。

これは、やっぱり難しいので、とっとと年金事務所に行って、教えてもらって、さっさと提出した方がいいなあ‥と、相談の予約を取ろうと、ホームページを見ると、2月中旬まで埋まっていました。



でも‥。

文書をよく見ると、『62歳の誕生日の前日以降に年金請求書提出が可能になります』と、書いてあります。

じゃあ、仮に2月中旬に相談窓口予約が取れても、まだ受理されないってことなのかな。

実は、62歳の誕生日が締め切りなのかと、早とちりしていたことに今更気がついたのでした。

 

結構頑張って書き進めたんだけどな。

区役所で、非課税証明書を今取って良いのか、確認していたのは、こういうことだったのね。

他の書類も有効期限が半年なので、お誕生日が来たら速攻で年金事務所に行って書類を提出することにします。

やっぱり前途多難だわ‥。

 

蓄熱式湯たんぽ。

先日、つけっぱなしのテレビで、ちょっと興味を引くモノを見かけました。

テレビでは、「電気湯たんぽ」とかなんとか言っていたような‥。

ちゃんと見ていたわけではないのですが、使用前に電源に繋いで約10分で湯たんぽの出来上がり。

コードは着脱式なので、使用感は普通の湯たんぽと変わりません。‥とか、なんとか言っていたっけ。

湯たんぽの暖かさはとても実感しているし、特に寒がりの夫には必需品。

でも、お湯を沸かすのが地味にめんどくさいのです(笑)。

うちの湯たんぽは大きいのか、大きめのやかんを満水にしてお湯を沸かさなくてはならない水量で、強火で5分ぐらいかかるし、プロパンガスだから、ガス代も割高だし‥。

それに翌朝、湯たんぽに残ったお湯を単に捨てるのはもったいない‥と、おケチ根性を発揮して洗濯に使おうかな‥と思っても、結局忘れて再利用することなく捨てることもあるし‥。

なーんて、ちっちゃい不満点を解消してくれそうな気がする『電気湯たんぽ』に興味しんしんでした。

 

先日、出かけた家電量販店で、その電気湯たんぽを発見しました。

山善というメーカーの『蓄熱式湯たんぽ』

商品の箱には、『電気の力でお湯いらず』と、書いてあります。

約10分で暖まる!

連続使用最大約8時間(あんかの場合)

繰り返し使用約500回

どこでも使えるコードレス‥。

テレビで、見かけた商品と類似品っぽいね‥と、購入しました。約3000円です。

それがこちらです。↓↓

モフモフのカバーは筒状になっていて、手を突っ込むこともできます。

湯たんぽは、モフモフのカバーの外側が袋状になっていて、そこに収納します。

早速、充電します。

電源コードを繋ぎ、赤いランプが付きます。

約10分で、ランプが消えて蓄熱完了です。

それをモフモフのカバーに入れて準備OK。

説明書によると、電気代の目安は蓄熱1回あたり約2.1円。多分ガスでお湯を沸かすよりお得よね‥と、にんまり。

ホカホカモフモフの湯たんぽを夫の布団の足元に滑り込ませスタンバイしました。

 

翌朝、蓄熱式湯たんぽの感想は‥というと、ちょっと物足りないとのこと。

カバーがモフモフ過ぎて、暖かさの伝わりがイマイチのような気がするんですって。

尤も、今まで使っていた湯たんぽは沸騰した熱湯がたっぷり入っていて、湯たんぽのカバーも、今回のものよりモフモフしていません。

もう一度、説明書を見ると、充電終了時点で、お湯の温度は65℃。

モフモフのカバーにセットする時は、十分に熱いと思いましたが‥。

やっぱり熱湯には敵いません。

ちなみに、蓄熱式湯たんぽの中身の液体って何だと思いますか?

充電終了時点でも65℃というので、何か工夫された液体が入っているのかなあ‥と、思っていましたが、何と、水でした(笑)。

繰り返し使用の寿命が尽きたら、湯たんぽを切り開いて中の水を捨ててから、自治体のルールに従ってゴミとして出してください‥と、説明書に書いてありました。

意外と単純な作りだったんですね。

 

結局、夫にはこの湯たんぽは物足りないということで、翌日からは寝る前にやかんいっぱいのお湯を沸かして‥の湯たんぽに逆戻りしました。

私は、湯たんぽはあっても無くても良いと思っていたので、この冬は使っていなかったのですが、せっかくなので蓄熱式湯たんぽを使うことにしました。

‥ということで、蓄熱式湯たんぽのレビューです。

夫にとっては、物足りないと言っていた暖かさですが、私には充分でした。

今までの湯たんぽは、中にプラスチック製の容器が入っていたので、固いというか、存在感がありますが、蓄熱式湯たんぽはフニャフニャな容器だし、カバーはモフモフしているので、布団の中に小動物が潜りこんできた雰囲気です。(笑)

かつて、湯たんぽを抱きしめてお布団に入って、うっかり30分ぐらい寝落ちしてしまった時、腕が軽い低温やけどになってしまったことがあったのですが、説明書には蓄熱式の方も注意喚起されていました。

まだ数日間の使用ですが、布団の中で足裏が触れるような位置に置いて使って、朝起きたら蹴飛ばしているようで、布団の外にあったり、位置が変わっていたり‥という感じで、低温やけどの心配は、私は大丈夫そうです。

 

簡単便利さ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

暖かさ  ⭐️⭐️⭐️⭐️

コスパ  ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

おすすめ ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

私にとっては、充分暖かでしたが、寒がりさんには物足りないのかな‥というところ以外は、満足しています。

もし、今湯たんぽを使っていないのなら、蓄熱式湯たんぽから試してみたら如何でしょう。

湯たんぽの暖かさは侮れませんよ‥。なんちゃって。

まるで、メーカーの回し者のようですね(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

シャコバサボテンの花が咲き始めました。

 

2024年、お正月の備忘録。

今年は新年早々、能登で大地震が起こり、羽田ではJAL機と海上保安庁の飛行機の衝突事故が起こり、不穏なスタートとなってしまいました。

元旦は、ほぼ一日中地震関連のニュース一色となり、お正月気分が吹っ飛んでしまいましたが、被災地の人達の事を思うと気の毒でなりません。

また、翌日には、羽田空港の滑走路で燃え上がる機体の映像を見ることになってしまい、何だか先行きが不安になってしまいます。

関係ない地域に住んでいる私が心配したところで仕方がないのですが、気になってしまってテレビを見ては不安になってしまいます。

これでは、いかん!ということで、しばらくニュース番組を見ない方がいいかなあ‥と、思っているところです。

 

このお正月は、次男だけ帰省しました。

姫路に住んでいる長男は、年末から発熱。

彼の場合、疲れが溜まると、いきなり高熱を出してダウンするけれど、一晩爆睡すると微熱ぐらいには回復‥ということが過去にも何度もありそのパターンの雰囲気です。

一応コロナ疑惑もあるので、お医者さんには診てもらってないけれど葛根湯飲んで、姫路で寝正月となりました。

この年末年始は新幹線ものぞみは全席指定だったし、羽田での事故で新幹線に振り替えた人も多いと思うので、残念でしたが帰省しなくて結果的に良かったような気がします。

帰省した次男もゲーム廃人となり、夫と2人でゲーム三昧。

リビングに居る時は、ほぼ何かしら食べて喋っての年末年始を過ごしました。

彼は3日から仕事との事で、前日のお昼過ぎに帰っていきました。

お正月は久しぶりに賄いのおばちゃん生活に戻り、忙しくも楽しく過ごしましたが、

おせち料理もほぼ食べ尽くし、夫婦だけの暮らしに戻ると、やっぱりちょっと寂しさを感じています。

 

そこで、今日は、初詣へ。

いつもは混雑を心配し、敢えて三が日を避けていましたが、今年はせめてもの厄祓いのつもりで、大宮氷川神社へ行ってきました。

コロナ禍前ぐらいの人出に戻った雰囲気ですが、雑踏転倒事故が起こらないように、民間の警備会社の方が、雑踏整理に当たっていてこまめに入場制限をしていました。

おかげで、混雑していたけれどスムーズに参拝することができました。

写真中央のカラフルな袋は袋絵馬。

個人情報保護の観点から生まれたそうです。

勿論普通の絵馬もありますが、名前と志望校やら、願い事を知人に見られたら気まずいですもんね。(笑)

隣接する大宮公園も、露店がちらほら戻ってきていました。

 

こんな感じで、我が家は2024年のお正月を過ごしました。

世の中はショッキングな出来事で新しい年をスタートしましたが、

我が家の(爆笑レベルの)初笑いを紹介します。

次男ネタです。

彼は、私服はユニクロを愛用しています。

ある時、店舗に行くと、『ユニクロ製品の回収ボックス』を発見しました。

ユニクロ製品なら、ダウン、フリース、パンツ‥などを回収して再生しますとの事で、捨てるより遥かに良いことだと思って先日、古くなったユニクロの服を沢山回収ボックスへ投入して、新たに買い足してきたそうです。

オチはもしかしたら既に想像されているかもしれませんが、彼は(期待通り‥)想像通りの事をしていました。

フリースとパンツを投入したとのことですが、『パンツって、ズボンのことだけど大丈夫だよね?』と、念押しすると、やっぱり‥の結果でした。

しかも洗濯してなかったそうで‥😅。

こっちのおパンツでした


‥と、新年早々のお下劣路線でした。

 

遅ればせながら、あけましておめでとうございます。

今年もどうぞ宜しくお願いいたします😊。

 

『駅からハイキング』上野駅から東京駅。

今年最後の『駅からハイキング』は上野駅を選び、先日行って来ました。

『笑福万来!行く年来る年!歩いてにっこり‼︎福を呼び込もう‼︎』と、いうことで、

師走の風を感じながら、寺社、名所、旧跡を巡り、江戸の歴史を感じてみませんか?と、JRさんの誘い文句に誘われて歩いてきました。

(このコースは12月13日から17日までの開催で、現在終了しています。)

 

😊本日のコース😊

出発はJR上野駅入谷改札の外。

①東叡山寛永寺不忍池辯天堂(とうえいざんかんえいじしのばすのいけべんてんどう)

旧岩崎邸庭園

湯島天満宮

④江戸総鎮守神田明神

万世橋

⑥小津資料館

⑦甘酒横丁・人形町からくり櫓時計

⑧水天宮

日本銀行金融研究所 貨幣博物館

ゴールはJR東京駅。

上野駅入谷改札外。

上野駅の入谷改札の外に『駅からハイキング』の受付が設置されており、コース地図を受け取り、スマホのアプリで参加登録をして出発です。

勝手に省略したり、相変わらずのゆるゆるな参加の仕方ですが、この日はちょっと北寄りの風が冷たかったもののピカピカの青空で、気持ちよく歩いてきました。

 

不忍池辯天堂

上野駅を出発し、上野動物園の横を通りそのまま上野公園を不忍池方面へ進みます。

不忍池のほとりに、辯天堂はあります。

この日は月曜日ということもあり、不忍池のボート達はお休みらしく、一箇所に係留されていました。

 

旧岩崎邸庭園

明治29年岩崎彌太郎の長男久彌(三菱第三代社長)の本邸として建てられました。

当時は20棟もの建物が並んでいたそうですが、現在では洋館、和館、ビリヤード室の3棟だけとなり、都立公園として公開しています。

鹿鳴館を手掛けた英国人ジョサイア・コンドルが設計した豪華な西洋建築です。

内部の見学は靴を脱ぎ、袋に入れて各自持ち歩きますので、靴下必須です。

ちょっと意地悪な目線の私達夫婦は、明治時代の洋風の建物を見ると、西洋に負けるもんか‥と無駄に贅沢な作りだなあ‥とか、コンプレックスの塊だなあ‥なんて思ってしまいます。

渡り廊下で繋がっている和館も立派な作りでしたが、天井が高い洋館を見てから和館へ来ると、当時の日本人は背が低くかったのかな‥と、思うほど梁が低く感じました。

入場料、大人400円。

 

湯島天満宮

学問の神様として有名な菅原道真を祀る、湯島天満宮(湯島天神)。

梅の名所でもあるので、入試の季節には、梅とセットで必ず季節の話題としてとりあげられるところです。

この日も、沢山の方が参拝されていました。

 

神田明神


商売繁盛なら、神田明神

また、年明けの仕事始めの日には、丸の内にも近いこともあって、大勢の会社員の人達が仕事始めの参拝に訪れるニュース映像を毎年のように見かけますが、それがここ、神田明神です。

毎年、4000社ほどが、祈祷を受けるそうです。

商売繁盛のほか、縁結び、健康、開運招福、除災厄除けなどのご利益もあり、『IT守護』『DX祈願』などのデジタルに関する祈祷もあるんだとか。

 

万世橋

神田川に架かる橋の1つで、アールデコ調の煉瓦作りの橋が歴史を感じさせます。

かつて、中央線の神田駅とお茶の水駅の間に万世橋駅がありました。
その万世橋駅の階段や壁面、プラットホームなどを残しつつ、高架下などに商業施設のマーチエキュート神田万世橋となって、カフェやオシャレなショップが入っています。

万世橋駅の元プラットフォームは、ガラス張りの展望レストランになっていて、両サイドを中央線が通過して行きます。鉄ちゃん予備軍のお子ちゃまは大喜びしそうですね。

 

 

⑥小津資料館。

江戸時代の日本橋界隈で活躍した紙商人、小津清左衛門長弘小津和紙に関する資料を展示しています。

入場無料。

 

 

⑦甘酒横丁・人形町からくり櫓時計


明治時代に横丁の入り口付近に甘酒屋さんがあったことから甘酒横丁と呼ばれています。

現在では横丁の入り口付近にからくり櫓時計が設置されています。

 

そろそろお腹が空いてきました。

このあたり‥人形町と言えば玉ひでの親子丼が有名です。

かつて何度か通りかかった時には店の前に行列が出来ていて、並ぶ根性もなく結局食べていないのですが‥。

現在、お店があった場所は、更地になっていて建て替え工事が始まっていました。

近くでテイクアウトと、カウンターで5席程度の小さなお店で営業されていました。

うーん、ここでランチじゃ落ち着かないしなあ‥。残念。次に行きます。

 

 

⑨水天宮

安産をはじめ、身体健全の御守護としても有名な神社です。

水天宮は、一階が駐車場になっており、箱の上に社屋が建てられているというイメージです。

しかも、免震構造になっているそうです。

安産や子授けの神様を祀ってあるというだけあって、隅にはベビーカーが沢山駐めてあり、お礼参りの赤ちゃんと一緒の若い夫婦の参拝者が目立ちました。

 

 

😊番外編、玉ひでの親子丼。

さすがに13時を回り、お腹が空いてきました。

どうしても玉ひでの親子丼が食べたいと、執着してしまった私。

スマホで調べてみると、『コレド日本橋』の中に、玉ひでの姉妹店があり、親子丼を食べられるようです。

こういう時はフットワークも軽く、コレド日本橋へ向かいました。

結婚前は都民だったし、隣接する江東区に住んでいたので、多少の土地勘はあるつもりでいましたが、日本橋界隈も再開発が進み、大きなビルまみれですっかり浦島太郎になってしまい、道に迷いました。

コレド日本橋超高層ビルで、高層階がオフィス、低層階にレストランやショップが入る三井系の商業施設です。

ここ『奈美路や』です。

江戸料理をコンセプトとした和食店で、ここで玉ひでの親子丼を頂けます。

入店した時点で14時近くで、お店は空いていました。

玉ひでの親子丼、美味しゅうございました。幸せ🩷。

 

あと残すは、日本銀行の貨幣博物館のみ。

ここは、東京駅にも近く、きっとまたチャンスがあるだろう‥ということで、ここで勝手に終了として、東京駅より帰路に着きました。

本日のコースは上野駅お茶の水駅、神田駅、秋葉原駅界隈をウロウロして、人形町日本橋を経て東京駅フィニッシュという、ザ、東京下町というコースでした。

自分では思いつかないコースですが寺社をゆっくり訪ねるには、ちょっと詰め込みすぎかもしれません。

でも、『大人の都内見学』という感じで、楽しみました。

本日の歩数、21142歩。



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気がつくと、本年もあと僅かです。

この駅からハイキングに行ったのはもう2週間近く前になってしまい、街路樹のイチョウの黄色が綺麗でした。

少し早めですが、年内最後の更新となりそうです。

拙いブログにお立ち寄りくださり、ありがとうございました。

来年もどうぞよろしくお願いします。

 

 

思い出し笑いへようこそ(駄)。

さすがに師走。

のんびりモードの我が家でも何かと忙しくて、自分の時間が取れなくて少々イライラしていたのですが‥。

昨日の些細な出来事が思い出し笑いの種となって大きく芽吹いてしまい困っています。

ブログも書きかけのモノも放り出し、この馬鹿馬鹿しいお話を書くことで、思い出し笑いの芽を摘もうと思っております。(笑)。

 

日曜日の某スーパーでの出来事。

このスーパーは、日曜日の開店から正午まで、『朝市』と銘打って、野菜を中心に安いので、とても混雑します。

今週もその朝市に出かけたのですが、カートが出払いそうな勢いの混雑でした。

商品を選び、レジに並ぼうとすると、どのレジも長蛇の列。

どの列も10人ぐらは並んでいます。

日曜日は、それぞれが爆買い状態なので、更に時間がかかるのは必至です。

この混雑も毎度のことなので、諦めて列に並び、カバンからスマホを出してポケモンGOでもやろうかな‥と、思ったところで、スマホを家に忘れてきたことに気がつきました。

スマホを決済に使っていないので、別に困らないのですが、いかんせん暇です。

並んだ列は、皆さんカートにカゴを2つ乗せて山盛りの商品です。

目視出来るだけで、8人はカートで並んでいるし‥と、溜息が出たところで、ふと前の人見ると‥。

 

暇に任せて、無意識のうちに観察モードになっていました。

40代ぐらいの男性なんだけれど、何となくチグハグ感が漂ってくる人です。

チラッと見えた横顔のマスクは、バーバリーのハンカチで(今更?)手作りしたような布製のマスク。

でも、ちょっとだらしない雰囲気が漂っています。

黒い細身のパンツスタイルなんだけれど、ズリ下がっていて、ひと昔前の高校生がやっていた『腰パン』(ズボンを通常より低い位置で履くこと。)状態。

いい歳したおっさんが‥と思った時点で、もう『変なおじさん』のバイアスがかかってしまった私。

その人のカートの商品に目を向けると、大量のカルピス。(希釈タイプで苺味‥イベントか何かで使うのかなあ?)

そして足元に目を向けると、その人、ハイソックスを履いていて、ズボンの上にハイソックスが被っている‥。しかも、シャツの裾をズボンにINしている‥。

単に服装に無頓着なだけなのか‥とも思うのだけど、何か変な人だなあ‥と、内心思いながらも、じわじわと列が進んでいきます。

すると、今度は、カートに手をかけて変なストレッチを始めました。

混んでいるし、みんな沢山買っているので列の進みが遅いので、イライラしているんでしょうか?

だんだん動作が大きくなっていきます。

でも時折、このポーズを挟むんです。

そう、『安心してください、履いてますよ。』の、とにかく明るい安村さんの真似をしているかのようなポーズ。

ヤバい人の後ろに並んじゃったな‥。

笑ってはいけない地獄に落ちてしまいそうだな‥。

‥と、色々な感情が湧き上がります。

その安村さん(?)、裸芸のそのキメポーズの他は、ストレッチぽいのですが、とにかく、笑ってはいけない‥と、必死に堪えていました。

あっという間にレジが進み、大量のカルピス苺味(34本でした)の金額が表示されても、本人はボーっとしていました。

思わず、レジの女性が『お支払いは、カードですか?』と、尋ねても、

『はい』と、応えても心ここにあらず状態。

更に、レジの女性が促すと、我に返ったようで、おもむろにカードを出して無事に会計を済ませていました。

そして、レジの女性から、カードとレシートを受け取る際、安村さんの一言。

『あの‥、トイレは何処にありますか?』

それが、めちゃくちゃ『イケボイス』。

声だけ聞いたら、すんごい素敵な人を想像しちゃうレベル。

それで合点したんですが安村さんの妙なストレッチ?と、裸芸のキメポーズの訳。

きっと、突然の尿意に我慢して悶絶していたんですね。

変なストレッチしていなければ、一言言ってくれれば、そのカートの面倒を見ながら列に並んであげたのにな。

不幸なことに、超絶混んでいる時間帯で、並び始めてしまうと混雑で列から離脱するのも大変な状況だったで、我慢するしかない‥。

多分、普段あまり利用しないらしくトイレの場所もわからない‥。

‥という絶対絶命のピンチだったんですね。(‥と、勝手に決めつけて)

声がイケメンすぎて、その落差に、笑ってはいけない地獄に落ちてしまいました。

 

 

でも、この状況、思い出すだけで、未だにニヤニヤしてしまうほど可笑しいのだけど、レジの女性も忙しすぎるせいか、無表情でトイレ場所を答えるだけだったし、安村さん、会計が終わると、凄い混雑した店内をカートごとかっ飛んで行きました。

このスーパー、トイレは、一旦店の外に出て、店舗の1番端っこにトイレの入り口があるのだけど、間に合ったのかなあ‥と、余計なお世話な心配をしていました。

未だに、頭の中で、尿意を我慢していたであろう『安村さん』が浮かんでしまうと、ニヤニヤしてしまう、危ないおばさんになってしまいます。

‥と、くだらないお話に長々とお付き合い、ありがとうございました😊。

『笑ってはいけない地獄』『思い出し笑い地獄』に、ようこそ‥になっていたら、ごめんなさい🙏。

十日市散歩。

『十日市』と書いて、『とおかまち』と読みます。

酉の市のことですが、毎年12月10日に大宮氷川神社にやってきます。

今年は日曜日に当たったし、季節はずれの暖かい一日だったこともあり、混雑しているかな‥と、思いましたが、コロナ禍前の8割程度の人出という雰囲気でした。

小春日和に誘われて、ウオーキング感覚で行ってきました。

 

 

埼玉県さいたま市にある大宮氷川神社(武蔵一宮氷川神社)です。

12月10日は、大宮氷川神社の大湯祭(だいとうさい)の本祭で、この日に合わせて酉の市がたつ為に、十日市と呼ばれています。

境内では熊手や神具、参道では食べ物や、射的、などの露店が立ち並びます。

江戸時代から続く、大宮の冬の風物詩の大湯祭と十日市。

コロナ禍で中止になった時期もあり、この混雑も平穏な日常が戻ってきたなあ‥と、嬉しく歩いて来ました。

大宮氷川神社の境内はとても広く、沢山の熊手の露店が並んでいました。

熊手に価格を表示しているお店は殆どなくて、この写真のお店はレアケースです。

熊手を買うと決めたら予算を伝えて、値切り交渉をするんだそうです。

あくまでも、『買った』(勝った)、『(値段を)まけた』(負けた)のやりとりを威勢よくやって、独特の節回しの手締めで『商売繁盛!商売繁盛!』と、なるようです。

で、値切った分は、お店へのご祝儀としてお渡しするのが、粋な買い方なんですって。

時折、その威勢の良い手締めの声が聞こえて、大きな熊手を持つ人を中心に人の輪ができていました。

大きな熊手用の企業名の書かれた短冊が既に用意されていたり、熊手は商売をやる人のものなので、私には関係ない‥とずっと思っていましたが、開運、健康、家内安全など色々な熊手もあり、部屋に飾りやすような超ミニ熊手もありました。

 

境内を出ると、長ーい氷川参道に出ます。

この参道、約2kmあります。

ここから先は熊手の露店は殆ど無く、飲食の露店が並びます。

かつては植木の露店も出ていて、(見るだけでしたが)楽しみにしていました。

ひたすら真っ直ぐ進むと、JRさいたま新都心駅に着きます。

途中で、東方向に進むとJR大宮駅に着きます。

今年は、この露店がどこまで続いているのかわかりませんが、人の多さに大宮公園方面へUターンしました。

 

大宮公園にも、露店がちらほら復活しつつありました。

氷川参道の混雑と比べると、休日の公園といった風情ですが、今年は暖かい日が多かったこともあり、まだ景色は『秋』なので、12月ということを忘れてしまいます。

 

 

この十日市、この次は浦和にある調神社(つきじんじゃ)に移っていき、こちらは毎年12月12日に行われ、十二日まち(じゅうににちまち)と呼ばれています。

‥と、ここまでは、知っていたのですが、酉の市って浅草の鷲神社や新宿の花園神社など、有名どころは、たまにテレビで季節の話題としてちらりと取り上げられていますが、十日市の酉の市はどこからやってきてどこに行くんでしょう。

ふと、気になったので、調べてみました。

埼玉県の場合は、酉の日に関係なく、概ね中山道に沿って南下していくようです。

12月2日に越谷の大沢香取神社からスタートして、深谷市の瀧宮神社、行田市愛宕神社鷲宮鷲宮神社熊谷市の高城神社、そして大宮、浦和と続き、春日部市の粕壁神明社川口市の川口神社、東松山市大鳥神社蕨市の和楽備神社、

そして12月23日の鳩ヶ谷市氷川神社でフィニッシュのようです。

呼び方は、酉の市の他、おかめ市と呼んでいる神社もあります。

 

コロナ禍も無事に潜り抜けることができて、世間様も、日常モードに戻りつつあることを幸せに思い、のんびりと、大宮氷川神社の十日市を散歩しました。

暖かかったので、忘れてましたが、12月も中旬にはいり、年賀状も大掃除もこれからです。

さあ、巻き巻きで頑張らなくっちゃ。

 

本日の歩数、14988歩。

そこにして下さい‥ではないけれど。

私の実父(じいちゃん)、94歳、名古屋で弟夫妻と暮らしている。

先日、弟より電話があり、じいちゃんの『老い』がまた1段上がってしまったという話だった。

また圧迫骨折してしまい、痛みを我慢して隠したり、寝ていれば治る‥と、数ヶ月前と同じ失敗を繰り返して、遂に自力で歩くのが困難になってしまったらしい。

現在は、車椅子必須になってしまったとのこと。

 

圧迫骨折していたと思われる時期に、何度か粗相をしていたという。

バレないように中途半端な掃除をするので、却って汚れて掃除が大変だったとも嘆いていた。

今までもトイレの間隔が短くなり、たまに粗相をすることがあり、せめて夜間だけでもオムツの利用をお願いしても頑なに拒否していたらしい。

更に圧迫骨折の痛みを我慢しているから、トイレに行くのも大変で‥という負のループ。

結局、強引に病院連れて行って圧迫骨折が判明した。

でも、相変わらずオムツは拒否している上に、夜中に何度もトイレ介助をお願いされるので、さすがに弟夫妻が疲れきって、有料老人ホームまたは特別養護老人ホーム入所を視野に、とりあえずショートステイでお泊まりしてもらうことになったという。

特別養護老人ホームの入居要件は、要介護3以上とのことだが、現在じいちゃんは要介護1。

更なる圧迫骨折で、要介護認定はクリアできそう‥というものの、ケアマネさんの前では、出来ないことも出来る!と言い張る、『老人あるある』状態。

寝不足状態な弟はキレ気味だったけれど、じいちゃん本人は、ショートステイも快適だったらしく嫌がっていない様子なのには救われる。

 

 

 

弟から話を聞いて思ったのが、オムツへのハードルの高さ。

何も、『そこにしてください』と、言っているわけではなく、万が一間に合わなかった場合の保険の意味のオムツなんだけれど。

じいちゃん自身が核家族でずっと暮らしてきて、ヒトの老い方を見ていないので、毎日が未知との遭遇になっているから、オムツは最終兵器のように思っているのかもしれない。

 

 

私自身も核家族でずっと暮らしてきて、老い方の見本といえば、義母と暮らした半年足らずのことだけ。

義母はオムツの必要性はなかったが、そうならないように努力しているのは私にも感じられた。

スローモーだったけれど自分のことは自分でやろうとしていたし、2回動脈瘤の手術を受けていたので、手術瘡を他人に見られるのが嫌で、デイサービスのお風呂は頑なに拒んでいた。

勿論、保険の意味のオムツも拒否していたけれど、手術瘡を理由にデイサービスのお風呂を拒むぐらいだがら、気持ちは充分に理解できた。

義母は3回目の動脈瘤が乖離してしまい救急車の中で意識を失いその数日後亡くなってしまったので、私は介護らしい介護はしていないし、オムツのお世話になる事もなく旅立って行った。

義母は生前、2回目の動脈瘤の手術の後、食事を食べずに体調を崩しかけたことがあった。

その時は、術後のオムツが嫌過ぎて、水分だけの摂取ならうん◯を、オムツにしなくてはならない恐怖を避けられると思った‥と、かなり後になって話してくれた。

ある意味、遥かに私より女らしい人だったので、オムツはかなりのストレスだったんだろうな‥とか、私自身手術入院の経験がなかったので、動けない時期にオムツということもあるんだ‥と、初めて知った。

そういえば、夫も似たような事を言っていた。

彼は、喉の手術を受けて、治療方針上、集中治療室にかなり長い期間入っていた。

意識が回復して、尿意を感じた時こと。

身体が動けないことはわかっていたので、心配になって近くいた看護師さんに尋ねると、『大丈夫ですよ。』

理解できずにいると、『尿道カテーテルが入っているから、そのまましても大丈夫ですよ。』ということらしい。

尿意を意識する前は勝手に尿道カテーテルで排出されていたのに、意識してしまうと、『出していいのだろうか‥』と、無駄に悩んだらしい。

ちなみに『うん◯はどうしてたの?』と、お下劣な質問をすると、あまりにも闘病が辛かったこともあり、殆ど覚えていないという。

また、その後、HCUという重症患者が入る病室にいた時に、手術を終えて意識を回復したばかりのおばあさんと思われる方が、弱々しい声で、『おしっこしたいんですけれど‥』と、何度も訴えていたそう。

でも、その時対応した看護師さん、『そのままして大丈夫ですよ。』

忙しいのか、それ以上のフォローがなかったようで、その後も何度か同じ訴えをしていたとのこと。

尿道カテーテルが入っているのか、オムツを当てられているのかわからないけれど、初めての手術、入院だったら、ホントにそのままして大丈夫なのか、不安になるし、オムツの感触があったら、ものすごい抵抗感があるだろうなあ‥。

看護師さんには日常でも、患者は未知との遭遇なんだから、もうちょっと説明してあげればいいのにね。

 

歳をとったり、病気などで身体が動かなくなったら、オムツは明日は我が身の問題なのかもしれない。

そう思うと、じいちゃんが頑なにオムツ拒否をする気持ちも少しはわかる。

でも、何もそこへしてください‥というわけではないので、そこは受け入れてほしいところ。

夜中に何度も起こされたり、汚れモノの始末をしている弟夫妻の腹立たしさも充分にわかる。

結局、施設のお世話になるのが最善なんだろうなあ‥。

コロナ禍前は、毎年春先にひとりで新幹線に乗って埼玉の我が家を足場にお墓参りなどをしていたじいちゃん。

ヒトの老い方の見本がなかった私にも、最終章に入ったことをヒシヒシと感じている。

 

 

 

冬晴れの近所の公園にて。