17日にお墓参りに行ってきた。
我が家のお墓は、ちょっと遠く高速を使っても片道1時間半以上かかってしまうし、高尾山にも近く、更に周りに大きな霊園もあり、お墓参りハイシーズン?は渋滞も心配な立地。
‥というわけで、敢えてお盆やお彼岸を外している。
ある年は、隣のお墓から蔓性の植物が侵入し、それがものすごくパワフルで、まるで網をかけたようにうちのお墓をまるッと覆い被さっていた。
お彼岸が終わってからお墓に行ったので、周りは綺麗に掃除されているし、更に荒れっぷりが目立っていた。
この反省から、今年はお彼岸の前に行ってこようと思っていた。
しかし、いつまでも暑い毎日。
プラス、このところゲリラ豪雨になることも多いので、天気予報をしっかりチェックしてやっと行くことができた。
今回もお墓参りダブルヘッダー。
多磨霊園にある実家側のお墓は、名古屋に住む弟夫妻が、遠隔管理をしている。
お墓の掃除は石材店にお願いし、本人達も年に1度は上京しているようだ。
なので、彼らが行きそうもない時期に、掃除を兼ねてお墓参りに行くパターンがここ数年で出来上がっている。


もうすぐお彼岸だというのに、この日はしっかり猛暑日。
日差しが刺すように強く、霊園も熱中症に警戒するように頻繁に放送を入れていた。
今回は、実家側のお墓がすごいことになっていた。
背丈の高い雑草に覆われていて墓石が見えない‥。
こんな酷い状態は初めて見た。
石材店との掃除の契約は梅雨明けと、夏の終わりの年2回のはずなのに‥。
今年の夏は特に暑く、長い夏だったので、雑草にとってはパラダイスだったのかも‥。
日陰はないし、風もない猛暑日だったこともあり、ヘロヘロになりながら墓石まで通路を作るように草むしりをして、お花とお線香を供えてきた。
ほんの一部しか草むしりをしていないが、それでも小一時間かかり、暑くてぐったり。
一応、弟に写真と共にこの惨状を連絡しておいた。
契約者が名古屋からの管理なので、とりあえずお彼岸に間に合えば‥と、お墓の掃除を後回しにされたのではないか‥と想像している。
だけど、5月にお墓参りに来た時は殆ど雑草がなかったのに、僅か数ヶ月でこんな状態になってしまうんだ‥と、今更ながらお墓の管理って大変だなあ‥と、思った。
次は、車のエアコンをフルパワーにしてクールダウンしながら、小一時間で八王子にある我が家のお墓へ。
コンパクトなお墓ながらも、実家側のお墓があの惨状だったので、草ボーボーを覚悟していたが、拍子抜けするほど綺麗だった。
それでも、植栽を軽く剪定してちょろちょろ生えている雑草を抜いて、お花とお線香を供えてきた。
毎回、お隣のお墓が荒れ果てているし、植栽はないので、実は密かに除草剤を用意していた。蔓性の植物がはびこって侵入していたら、こっそり除草剤を使おうかな‥と思っていたのだ。
タイミングが良かったのかもしれないが、今回は綺麗に掃除されていた。
自分達のお墓の掃除の手間がかからなかったのも、本当に助かった。
短時間で日焼けするほどのピカピカの晴天、風も、日陰もない猛暑日のお墓参りになってしまったので‥。
またまた、車のエアコンをフルパワーにしながら、帰路についた。
毎回、昼食難民になってしまうほど、道中にお店がない。
今回も、圏央道、関越‥と高速をかっ飛んで地元付近まで戻って遅めのランチとなった。



夫は上天丼、私は天丼を頂いた。
揚げ物はだんだん胃もたれするお年頃になってきたが、とても美味しかった😊
このお墓参りに行った日はちょっと気になることがあった。
グループLINEに訃報の連絡が入っていた。
月に1回、先生のご自宅でサロン形式のお料理教室に行っていたのだけど、そのお料理教室の先生のご主人が亡くなられたとのことだった。
このお料理教室の先生、今年はスーパー厄年で、利き手の右腕を骨折してしまい、先日やっと治療を終えリハビリを頑張っていたところで、この秋にでもお教室を再開できる目処がたって喜んでいたところだった。
葬儀はこれからの予定だが、家族葬で行うとのことだったので、私達のグループは供花を手配することにした。
家族葬という形式の葬儀も、コロナ禍から主流になった感もあるけれど、親族だけのお葬式でしょ‥ということぐらいしか理解していない。
供花やお香典など、一切辞退するケースもあるらしく、ネットで調べたりしながら、グループのメンバーのひとりがまとめくださり現在手配を終えたところ。
それにしても、先生のご主人、79歳。
詳しいことはわからないけれど、お嬢さんがアメリカで暮らしているので、数ヶ月前にご夫婦でアメリカまで行ってきた‥と、言っていたのに‥。
しみじみ、こうして穏やかに不自由なく過ごせていることって、やっぱり奇跡だと改めて思う。
また、いつかは自分だってこの世とお別れする日がくるということ。
普段は全く忘れていて、このまま、ずーっとゆるゆると毎日を過ごしていけると何となく思っていたけれど、そんな保証は一切ないこと。
身近な人の訃報に触れて、改めて思い出す事実。
人生の持ち時間に、限りがあるんだし、ぼーっと生きていたら勿体ない。
感謝して毎日を過ごしたい‥なんて、ほんの一瞬かもしれないけれど、殊勝な気持ちになっている。