はじめの1歩

子育て終了、時間と心の余裕が出来たのでイロイロ手を出してみます。

W先生。

自転車で少し遠いスーパーに遠征?した帰り道、小学生の下校時間に重なったようで、先生らしき人が元気よく子供達に声をかけて見守っていた。

私は大きな幹線道路の反対側からその様子を見ながら信号待ちをしていたが、その人は、長男が小学生の時2年間お世話になったW先生のようだ。

 

W先生は、教師になりたくて、夢が叶った‥という雰囲気が漂っていた元気いっぱいな男の先生。

長男が小3の時に新卒でクラス担任としてお世話になった。

長男は絵に描いたような悪ガキだった。

幼稚園児の頃はクレヨンしんちゃんのように、『ケツだけ星人』なんて日常茶飯事😅。

おまけに4月生まれで身体も大きく、ちょっかいを出されれば倍返しするような悪ガキ君でとにかくよく目立っていた。

幼稚園の頃から、常に先生のチェックが入っているのは、親の目にもわかるほど。

小学校に入学すると、今時珍しい1学年6クラスもあるマンモス校だったが、ベテランの先生のクラスになるような感じだった。

ベテランの先生は長男が暴走しないような舵取りはさすがだったが、本人は少し窮屈だったようだ。

それが、3年生の時に担任になったW先生は、長男のパワーを受け止めて、上手に発散させてくれていたようで、すっかり先生が大好きになっていた。

長男の他にも、うん◯、ちんち◯などを連想できる言葉が出て来るだけで大喜びで調子に乗って騒ぎまくる、絵に描いたような『小学校低学年男子』も何人かいたけれど、同じく心を掴まれているようだった。

 

4年生になったある日、新聞に日能研のチラシが入っていた。

何故か、長男がそのチラシを手に『コレ、申し込んで‥』と言ってきた。

彼はチラシの一部分だけ見て、ゲームボーイのソフトを抽選でプレゼントしてくれると勘違いしていた。(笑)

日能研って中学受験をする子供の学習塾で、当時は『四角い頭を丸くする』というゲームボーイのソフトも出していた。内容は、色々な私立中学の入試問題で、当時電車の中吊り広告に一部の問題を紹介していて話題になっていた。

それなのに、長男はチラシを良く見ずにポケモンのソフトが当たるかもしれない‥と勘違いしていたのだ😆。

でも、面白いので、さっさとファクスで申し込んであげた😜。

勿論、日能研の入塾テストを兼ねていて、成績上位100名様に『四角い頭を丸くする』ソフトが貰えることは、本人には伏せて‥。

日能研より、テストの案内が来て、本人が1番びっくりしていたが、テストを受けることになった。

練習問題が同封されていたので、夫と一緒に解いて多少の準備はして、おだてまくって受験したところ、思いがけず入塾テスト合格の通知が後日届いた。

我が家は、転勤で引越しの可能性もあったし中学受験は微塵も考えていなかった。

しかし、長男君、日能研に入りたい‥と言う。

彼は、幼い頃からゲームが大好きで、習い事やスポーツ少年団の誘いがあってもゲームを優先していたほどなのに、『お勉強』の日能研に入りたいなんて‥。

よくよく話を聞くと、既によそのクラスの担任になっていたW先生にわざわざ報告し、W先生が『日能研に受かるなんて凄いね。』と、(社交辞令的な)一言で、すっかりその気になってしまったというわけ。

結局、5年生から国語と算数の2教科で通うことになった。

日能研は結構シビアで、クラス分けやクラス内での席順も、毎月のテストの成績順になっていた。実は結構プライドが高い長男は、涼しい顔をしながらも頑張っていたようだ。

そしてどうやら、逐一W先生に報告していたらしい。

でも、もうすぐ6年生になるという頃、日能研から実際の入試科目に合わせて理科や社会も追加したり志望校対策の案内などを頻繁に受けるようになると、金額的にも毎月かなりの額になるし、通塾の頻度も多くなるので、中学受験をさせるか、受験はせずこのまま2教科で継続するか、辞めるか、親としては悩ましく思うようになっていた。

やはり、我が家は家族帯同で転勤に対処する方針だったこともあり、本人の意思を確認すると、『渡りに船』という感じで日能研は辞めたいとのことだった。

 

そして6年生になる時、変則的に担任替えがあり、めでたく再度W先生のクラスになったので、本人は大喜びだった。

日能研を辞めたことも逐一報告していたようで、W先生が指導している地域のミニバスのスポーツ少年団へ誘われると、二つ返事で入部することになった。

それまで、バスケットボールなんて全く興味関心がなかったのに‥。

実はこのミニバスチーム、地域ではなかなかの強豪チームで、チームメイトは4年生から練習に励んでいて、伝統的に6年生保護者がチームのお世話をすることになっていた。

私にとっては、スポーツ少年団の親のマイナス面ばかり体験するハメになったが、ゲーム以外に打ち込めるものが出来て、バスケットボールを一生懸命練習している姿に元気を貰った気分だった。

 

我が家の長男君、低学年の頃は授業参観があれば舞い上がっていたし、とにかく目立つ子供だったので、真面目な大人しいタイプの男の子を持つ母親達からは悪意ある眼差しを向けらたこともたびたびだった。

だから、日能研を辞めて今度はミニバスだって‥と、嘲笑されていたことも漏れ伝わってきた。

でも日能研もミニバスも彼にとっては良い経験になったと思っている。

親にとっても、日能研のお勉強についていけていたので、地頭は悪くないんだ‥と、勝手に安心することもできたし(笑)。

中学生になってもバスケットボールは続け、勉強もしっかりやる基礎が出来たのはW先生のおかげ‥と、美しくまとめたかったが、そうはいかないところが、やっぱり長男君だけど(笑)。

小学校の卒業式では、彼を担任してくれた歴代のベテランの先生達が長男にもれなく声をかけてくれた。

平均的で目立たない平凡な子供だった私から見ると、市内でも有数のマンモス校で毎年担任の先生が変わってしまった学年で、関わった先生みんなに覚えてもらっていたなんて、我が子ながら凄いと思った。

 

幹線道路の向こう側で、久しぶりにお見かけしたW先生、長男のことを多分1番可愛がっていただきありがとうございます😊と、心の中で会釈した。

親バカ丸出し発言だけど、悪ガキの長男だったけれど、どの先生も可愛いがってくださってありがたいなあ‥としみじみ思ったひとときだった。

 

 

 

 

 

(我が家の柿の木も、今年は地味な花を沢山つけ、新緑が美しい季節になりました。)