はじめの1歩

子育て終了、時間と心の余裕が出来たのでイロイロ手を出してみます。

少し遅いお墓参り。

 

先日はお墓参りへ行って来ました。

新型コロナのせいというわけではないのですが、1年ぶりになってしまいました。

今年は春先も行っていなかったので、草ボーボーなのではないかと心配していましたが、

夏草の枯れたものが少々あるぐらいでほっとしました。

植栽も少しボサボサになったかな‥という感じでしたが、剪定してスッキリ。

数年前に切り過ぎたのが原因か、木が半分ぐらい枯れてしまい心配していたのですが、リカバリーされていました。植物は強いですね。

ここ数年、お墓参りの際に、花壇用の固形の肥料を撒いていたのが良かったのかもしれません。

 

うちのお墓は、自宅から遠いのが困りもの。

高尾山の麓に霊園があるのですが、公共の交通機関を使うと片道3時間、自家用車で高速を使っても2時間。

ナビの距離では70kmぐらいですが、途中に渋滞ポイントがあるので時間はかかってしまいます。

今はもう無い主人の実家からでも小一時間の距離ですが、うちの息子達の代になったらどうなるのかな‥と、時々考えることもあります。

(彼らは結婚もまだだし将来どこに住むのか想像もつかないので、今考えても無駄ですけれど。)

というのも、うちお墓の近くに手入れされていないお墓があるのです。

一応、宗派自由のお寺さんの霊園ですが、こじんまりしている分、霊園の管理は行き届いていますが、チラホラと、数年誰も来てないんだろうな‥というお墓も増えています。

その反面、山を切り拓いて霊園は拡張されており、まるで建て売り住宅と同じような構図になっています。

そのお墓から蔓性の植物が遠征して来た時は、勝手に少し切ったり抜いたりしたのですが、他人が他所のお墓を好意で掃除するのは良くないらしいので、(親切な人だと勘違いされて、霊がついてきちゃうんですって。笑。)いつも気になりつつも傍観しています。

また、この霊園はひと区画が小さめなので、大きな木を植えるスペースはないのですが、最初に販売されたであろう大きめの区画は、なかなかの大木になっているところもあります。

お墓にシンボルツリーのような木を植えるのは、木がその家の繁栄の養分を吸い取ってしまうので、凶相の墓だという説もあるようです。

でもこれはきっと、手入れが大変だから‥という戒めのような気がしますけれど。

一般庶民がお墓を建てるようになったのは、江戸時代ぐらいからなんだとか。

キリスト教の弾圧の為に檀家制度が作られたのだそうです。

それで、お寺と一般庶民の結びつきが強くなっていき、

お墓も当初は1人ずつ埋葬される個人墓が主流だったものの、土地不足などの理由の為、明治時代以降は、土葬から火葬にかわり、現代の〇〇家の墓という家墓の伝統が生まれたそうです。

意外と、歴史的には最近のことなんですね。

今は、家族の形も変わりつつあるし、お墓もビルの中に入ったロッカーのようなタイプや、樹木葬などが出てきて過渡期なんでしょうね。

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 (秋の空に沢山の赤トンボが飛んでいました。‥が、全く写ってません。笑。)

 

 

 

お墓参り終えて、ランチタイム。

高尾山方面に行ってしまうと、道が混んでいるので、避けるように帰路に着くと、ホントに何もなく、幹線道路に出たところにあるスシローへ。

スシローも‥というか、回転寿司は今年初めてかもしれません。

回転寿司という業態では、無自覚のコロナ患者が同じレーンに居たら、簡単に貰ってしまいそうな気がして、意識的に避けていました。

が、このお店は1時近いのにほぼ満席でした。

コロナがなければ待たされるのでしょうが、意外と混んでいるという印象です。

でも、店頭に消毒液と店員さんがマスクをつけていたぐらいの変化だったのも、意外な気がしました。

一番変わっていたのは、すごく省力化というか、人と接触しないようになっていたこと。

食事を終えて、会計の為に店員さんを呼ぶと、端末をお皿にかざすだけで枚数を数えて、金額もすぐに出して、座席の案内のプレートに転送します。

お客さんは、そのプレートを持って、自動精算機にかざして支払います。

知らない間に、こんなに進化していたんですね。

 

久しぶりに遠出した穏やかな秋の1日となりました。

世間ではGoToトラベルやイートが話題になっていますが、そろそろ何処かへ行きたいなあなんて思っています。