先日、多磨霊園へお墓参りに行ってきました。
実母の命日に初めてお墓参りに行くことが出来ました。
当日は、春爛漫の陽気で、霊園の正門前の桜並木も最後の花吹雪状態でした。
母が亡くなったのはもう18年前。
お葬式を終え斎場に向かうルートが銀座の端っこを通り、街路樹の八重桜が満開だったなぁという記憶があります。
実母は60台で亡くなってしまいました。
実母の葬式の時は、実母にとってのおじさん、おばさんなど棺桶に片足突っ込んだような高齢者の方まで多数来てくださり、有り難かったのですが、
無理して身体を壊さないよう気を遣って、訳の分からぬまま終わった感じでした。
みなさん、口々に『あんなに元気印でお若いのに‥ 』と、悼んで下さいました。
実母は、病気が見つかって医者の余命宣告通り、2年で亡くなってしまいました。
いわゆる、『中間期の癌』というやつです。(北斗晶さんみたいな)
毎年ちゃんと、健康診断受けて、数カ月前には何の問題もなかったのに、体調不良を感じ病院に行くと、速攻で築地のがんセンターを紹介され、ステージ4。
私にとって身近な人の癌患者は、母が初めてでしたが、それ以上に、急転直下の出来事に親族全員真っ青になった出来ごとでした。
つくづく、人生 何があるか、分からないと思いました。
自分の年齢も、母の亡くなった歳に近ずいてくると、せっかく今時間の余裕を手に入れたんだから、自分のことを後回しにしてはダメよねなんて、この季節になると強く思います。
多磨霊園は広い。
毎回車で行っていたのですが、今回は電車で行きました。
霊園の正門からも10分ぐらいは歩きます。
うちのお墓の裏も木が伸び放題だったのですが、手入れが大変なので抜いたようで、
やたらと日当たりが良くなっていました。
目印にしていた大きな桜の木が、枯れたらしく伐採されていたので、迷子になりかけました。広いので、霊園内の住所があるのですが、うろ覚えだったので少々慌てました。
隣のお墓はいつの間にか、3分割されて新しいお墓に変わっていました。
私の住んでいる町も古くからの分譲地は敷地が広めでゆったり建っているのですが、その家が売られると、2分割から3分割されて敷地いっぱいに建売住宅が建っています。
お墓もまるで一緒で、敷地目一杯にコンクリートで覆われたようなところに今風のお墓が3つ作られていました。
お墓に関していえば、土や樹木がない方が、手入れが楽だからその方がいいかも‥なんて思います。
お墓に対する考え方も今は過渡期で、将来は大きく変わっているかもしれません。
実際、うちの実家のこのお墓も近々揉めそうな予感。
ズバリ、継承者問題です。
父が長男なので、現在継承者となっていますが、その次世代は弟なんですが。
草むしりや樹木の世話やメンテナンスもお金を払って石材店に依頼しています。
将来はお墓の引越しも視野に入っているようですが、親戚の考え方がバラバラな上に、父がちゃんと話しをしていないのです。
親戚の家族は、女の子ばかりだったり、独身だったりで、弟の次の代で継承者になれそうなのは、弟の息子だけ。
弟の住まいは新幹線の距離だし、お墓に対する考え方も違うので、揉めそうです。
少子高齢化の社会では、こんなケースが沢山あるんだろうなと思うし、個人の問題だけでなく、システムとしても継承していけるのかなと、お墓参りのたびに思います。