はじめの1歩

子育て終了、時間と心の余裕が出来たのでイロイロ手を出してみます。

天使の絵と大学入試。

天使の絵、最後の1枚を剥がして処分しました。

天使の絵って、ある雑誌の付録の絵のこと。

長男が高3の時にトイレの壁に貼ったから、かれこれ9年も経っています。

 

どうして天使の絵なんか貼っていたの❓

それは、息子がおバカだから。(笑)

ある日、新聞の雑誌の広告で目を引いたのが、この見出し。

「この絵をトイレに貼るだけで半年で偏差値が20上がって東大に合格」

「この絵をトイレに貼るだけで、不登校を克服した」

‥とか、怪しげなスピリチュアルな特集を時々組んでいる『ゆほび◯』。

いつもは、ちょっと興味は持っても、新聞の広告の見出しを見るだけでおしまいだったのですが。

東大に入れなくてもいいから、

この絵を見て、少しは心を入れ替えて勉強してくれたら御の字。

そんな、ささやかな期待と、親はどうすることもできない歯痒さかからこの雑誌を購入したのは長男の高校で三者面談の帰り道。

 

『息子さんの成績では、この大学は記念受験レベルですよ。』

『✖️✖️大学レベルが妥当なので、ここを軸として考えましょう。』

‥という先生のアドバイスに息子は開口一番、『嫌です。』

『受かっても、嬉しくないところには行きたくないです。』(その通り)

『このままでは浪人しますよ。』

『男の子だし最終学歴は最後までついて回るので、チャンスは与える方針なんです。』

『お母さん、甘いですよ。浪人したって大学生になれる保証なんてないんですよ。

結局、フリーターになっちゃう方が多いんだから現実をしっかり見て下さい。』

と、担任の先生には、親子揃ってバカ認定され、志望校は濁して帰宅しました。

 

担任の先生の言うことも一理あるんだけど。

確かに当時の息子は世間を舐めているようなところがありました。

第1志望はなんと、都の西北のあの大学。(模試はずっとE判定だったのにね)

当時の進路指導は、とにかく浪人させない方針らしく、先生の言うこと聞いていたら、聞いたことない名前の大学に行かされちゃうと思ったとのこと。

実際、クラスメートの何人かは、AO入試で既に進路が決まっていたものの

嬉しそうではないという。

『それに何と言っても、ある程度名前が知れてないと、合コンもできないらしい』

(おーい、本音はそっちかい。)

‥というわけで、進路指導は無視で頑張ろうねということにしたのですが。

現実はやっぱり厳しいことは百も承知。しかも息子自身も面談が終われば、今の決意は何だったのという感じ。

『こればかりは、本人が頑張るしかないのよ。代わって試験を受けることも出来ないし、助けてあげられないよ。』

『うん、お父さんならまだしも、お母さんじゃ話にならないし。』(おいっ!)

それで、帰り道の駅ビルでこの雑誌を何気なく手にとり、何気なく買ったのです。

 

そして、「見るだけで幸せになったり成績が上がる絵」は、綴じ込みで5、6種類あったと思います。

雑誌から切り離し、1階と2階のトイレに1枚づつ貼り、長男と次男のデスクマットの間に忍ばせ、リビングにも貼って、と、強引に全部貼りました。

家族は大ブーイング。

変な宗教の絵?

お母さんって、壺とか水晶買っちゃうタイプだったの❓

‥と、言いたい放題。

でも、結局、誰もこの絵を自分では剥がしませんでした。

剥がしたのは、全部私。

所詮、雑誌の綴じ込み程度の品質なので、両面テープで壁に貼っても反り返ったり勝手に剥がれたりで、2階のトイレと息子達のデスクマットに忍ばせた絵だけが最近まで残っていました。

その絵も模様替えで机の処分した私が捨てて、そして2階のトイレの絵もついに全部剥がれてしまい処分しました。

結局、長男 の大学入試は、案の定全滅し、今や少数派となった浪人生を経て大学生に。都の西北には行かれなかったけれど、合コンは出来たみたい。(笑)

 

雑誌の絵は偏差値を20上げてはくれなかったけれど、

もしかしたら、ちょっと癒しにはなっていたかもしれないなとも思います。

それと、勉強嫌いなくせに見栄っ張りな長男がなんとか大学生になれてよかったと、絵を処分しながら絵に感謝して、思い出に浸っている私です。