一気に冬がやってきた。
今朝は一段と冷え込んで、窓の結露拭きのシーズン到来。(はあ〜)
うちの前は老人ホーム(特養)が建っているが、季節の変わり目や一気に寒くなると、大抵、数日以内に救急車がやって来る。
老人ホームが建つ時に住民協定で、救急車のサイレンは鳴らさないように依頼して呼ぶことになっていたはずだが、最近は、ピーポーピーポーと坂道を上がってくる。
はじめは、救急車のサイレンに嫌な感じがしていたが、慣れとは怖ろしいもので、
『ベッドが1つ空いたね。』
『気持ち良く旅立たせてあげればいいのに』
‥と、うちの家族はそんな不謹慎な会話をしている。
老人ホームのお年寄りが救急搬送されたあとのことが気になる。
部屋で突然死亡したら、一般家庭でも不審死扱いされて警察が入って嫌な思いをした人の話を聞いたことがあるから、助からなくても搬送するしかないのかな。
義母は、同居して半年で動脈瘤乖離で亡くなった。
義母の動脈瘤は3回目。
最初は腹部動脈瘤で手術し、その後胸部に動脈瘤が出来てしまい、こちらの病院で手術を受け半年かけてすっかり元気になり自宅に戻っていった。
そして、数年後、大腿骨骨折で入院しその際に以前に手術した部分との間に新たな動脈瘤が出来ていることが判明し、体力的に手術は無理と言われていた。
だから、大腿骨骨折の治療を終えると、同居することになった。
そしてある冬の日、数日前から腹痛を訴えて安静にしていたが、
回復したので、元気よくデイサービスに行き、その日の晩、激しい腹痛で救急車を呼ぶことになった。
救急車がやって来ても高齢であるということで受け入れ先の病院がなかなか決まらなかった。
救急車の中で、過去に2回動脈瘤の手術を受けていること、また動脈瘤が出来ていることを必死に訴え、2回目の手術を受けた病院で受け入れて貰えることになった。
でも、時すでに遅し。
動脈瘤は大きく乖離し手術も出来ない状態だった。
要は、命が尽きるのを見守ることしか出来ないという。
義母はすでに意識はなく、時折顔を歪めることがあったが沢山の管に繋がれて眠っているようだった。
この時、家族は、とにかく本人が痛みで苦しまないように‥としか考えていなかった。
数日後、若いドクターから『◯◯病院に転院して欲しい』という話があった。
夫としてはこのままここで看取って欲しいと思っていた。
でもその若いドクターは、『今、患者が多く、このベッドが空けば何人もの患者の命が助かるんです。この病院はそういう機能の病院なんです。』と、言った。
正に正論、ドクターの言う通り。
でも、もう少し言葉を選んで欲しかった。
夫は、頭では理解していたが、そのドクターが感情的に許せない、という状態で拒否。
でも、最後には、『おかあさんが意思表示をすることが出来たとしたら、気持ち良く転院すると思う。』と納得して数時間後、救急車で転院した。
転院先の病院は、うちからも車で10分位の場所にあったが、存在を初めて知った病院だった。
雰囲気は暗く、治る見込みの無い患者と社会的入院患者の病院という感じで、転院を承諾したことをすぐに後悔した。
病室は2人部屋だった。
入り口の名札を見ると、どう見ても男性の名前が書いてあった。
いくら意識不明でも酷い‥と思ったが、お隣のベッドの人も意識不明が続いているという。
付き添いの女の人がカーテン越しから挨拶してくれた。
奇跡を願って意識不明のご主人の手を毎日さすっているという。
結局、義母は、ベッドに移ってすぐに亡くなった。
最後の最後にあんな病院に入れてしまって申し訳ない、
最後までわがままを言ってあの最新鋭の設備の病院に居座っていた方が良かったのかも。
だって、数時間後には息を引き取っていたのだから。
そして、最後の病室で出会った付き添いの女の人。
こんなどんより曇りの寒い日と、老人ホームに向かう救急車を見ると、駆けつけた家族の人は、うちのような思いをするのか、あの女の人のような思いをするのか、
ふと気になってしまう。