はじめの1歩

子育て終了、時間と心の余裕が出来たのでイロイロ手を出してみます。

親の心配は尽きません。

長男のお話です。

彼は社会人4年目。

今年の春に異動で地元に戻ってきました。

 

最初の配属地は、名古屋。

名古屋の人には申し訳ないのですが、すっかり名古屋嫌いになった3年間のようでした。

初の給料日に、同期と大奮発して、『回らない寿司屋』に行ったのに、

寿司飯が甘すぎて不味くてビックリ‼️

‥に始まって、とにかく名古屋の味覚が合わなくて、味が濃すぎると嘆き、

安心して食事が出来るのは、吉牛とか、松屋とかの全国展開のチェーン店。

コンビニは、微妙に地域の味を取り入れているので油断出来ないと、

帰省するたびに文句タラタラでした。

でも、客観的にみて、マヨラーの君に名古屋の味が濃すぎるなんて言われたくないよね‥と、当初は笑っていたのですが。

そのうちに、仕事も求められることが大きくなっていき、ストレス増加。

夏休みに帰省した時は、休暇が終わる3日前頃から、憂鬱モードへのカウントダウンが始まり、だんだん暗〜い顔に。

それでも、名古屋の〇〇ビル(自分の会社が入っているビル)だけに、北朝鮮テポドン落とさないかなあなんて、おバカな冗談を言っていました。

そして、年末年始の休みに帰省すると、名古屋に戻る日は、

漫画で言えば、どよーんと斜線を引きたくなるような憂鬱が服を着ている状態。

どんどん、暗くなっていく姿が心配でしたが、具体的に出来ることもなく‥という

1年目でした。

 

彼は、金融関係の仕事をしていますが、数字が全ての世界。

目標が達成できないと電卓が飛んでくるとかは、日常茶飯事らしく、

1年で3割の同期が転職して行ったそうです。

同期の殆どが、転職サイトに登録してして、トップバッターは3ヶ月足らずで転職していったとか。

あんなに苦労して就活したのにね、なんて言っても上の空。

彼も転職したくてしたくて、帰省するたびに夫に相談していました。

夫は、とりあえず3年は耐えないと、何処へ行ってもノルマはあるし、

給料は下がるだけだよという話をしていたようです。

彼も半分納得して半分不満顔で名古屋へ戻っていきました。

 

そして2年目は、更にストレスを貯めているようでした。

うちに帰ってくるなり、『久しぶりに固形のうん◯が出た。』

何なの、それ?

実は、ストレス性の下痢に悩まされていて、先日大人になって初めてうん◯を漏らしてしまったので、医者に行ったら、過敏性大腸炎と言われたと、カミングアウト。

さすがに、心配で心配で。

それでも帰省の度に、夫はひたすら頑張れという話をして

半分納得して半分不満顔で名古屋に戻っていきました。

 

彼は小さな頃から、目立つ、やりたい放題、というイメージがある子供でした。

幼稚園の頃は、まさにクレヨンしんちゃん

小学生になると、うん◯とか、ちんち◯のようなお下劣ワードには真っ先に食い付くようなガキ大将。

中学生以降も、先生に反抗したりと、良く言えばパワーのある、悪く言えば、もう少し計算しろよ、という子供でした。

その彼が、体調を壊すまで、ストレス貯めていることが、心配で。

しかも、初めての1人暮らしだし。

彼が、名古屋に戻ると、実は、夫も私も、大丈夫かな。

転職も視野に入れた方がいいのかなと、グチグチ心配していました。

 

そして、3年目。

相変わらず、うん◯が液体と言いつつも、以前より暗さ加減が和らいできたようでした。

もう、辞めたいとは、言わなくなったものの、夫に愚痴をこぼしていました。

毎年のように、直属の上司が変わったようですが、

今にしてみれば上司の言うことは正しかったと思うなんてセリフも出てきて、

仕事はキツイようですが、彼の中で、一山越えた感じです。

 

そして今年の春の定期異動で、希望通り、地元に戻ってきました。

自宅から充分通勤できるものの、繁華街に住むのが夢とかで、地元のターミナル駅そばのマンションで1人暮らし続行。

過敏性大腸炎ってじつは難病なのに、ケロっと治ったようです。

しかし、今度は、彼が近くに住んでいると、その生活が充分に想像出来て、

相変わらず力の限り遊んでいるので、親としては、いつまでも心配は尽きません。