はじめの1歩

子育て終了、時間と心の余裕が出来たのでイロイロ手を出してみます。

今年のお盆も‥。

暑い😵💦。

毎年同じセリフを吐いて、早く(暑さ寒さも彼岸まで‥の)お彼岸にならないかなあ‥と思いながら過ごしたお盆。

今年も、古き良きニッポンのお盆とは、縁遠い毎日を過ごしていました😁。

 

今回は、台風8号と一緒に次男がやってきました。

当初お盆は、カレンダー通りの休みなので近場で友達と遊ぶつもりだった次男君。

台風の予報で、その予定が延期になり、急に『暇人28号』(笑)になったので、暇つぶしの帰省ですが、勿論ウエルカムです。

台風‥という割には、一時強い雨が降ったものの、風も大して強くもなく、当地は穏やかに通過してくれたようです。

前日にしっかり備えて買い物に行ったし、夫と次男はゲーム三昧、私ものんびり過ごしたお盆休みとなりました。

 

テレビでは、コロナ関連の規制がない夏休みということで、コロナ禍前に近い混雑ぶりの有名な観光地のニュースや、新幹線や高速道路の混雑の映像が流れると、ちょっと複雑な気持ちにもなりました。

もう世の中の人のコロナへの意識は二極化しているのかな‥。

一方で、PCR検査場には、発熱患者も炎天下に行列を作っていたり、病院はコロナ病床が逼迫して、他の病気の患者さんまで受け入れ困難になっていたり‥。

世間では、コロナに対して慣れてきた人が増えたような気がしますが、やっぱり油断大敵。

コロナもその隙を突くかのように、身近な人が陽性になったという話題が増えてきた今日この頃です。

我が家では、次男が駅員さんという職業柄、家族の中ではコロナに1番近いところにいて、何度か濃厚接触者になり、お鼻グリグリのPCR検査や、唾液での検査を受けています。(幸い陰性。)

今回の第7波のコロナでは、知人の同居の家族がかかってしまい、家庭内隔離中‥というケースが複数出てきました。

初期の頃は、コロナそのものと同じぐらい、社会的に『えんがちょ』(死語?)扱いされるのが怖い状態でしたが、何だか最近では、『家族がコロナになっちゃって‥』と、軽くカミングアウトしてくるほど、身近なものになってきたようです。

‥とは言っても、喉が痛くて水が飲めない‥とか、高熱とか、辛そうで、絶対に罹りたくないので、当面は、マスク、手洗い、換気をしっかり続けて、気をつけて過ごそうと思っています。

 

この季節のスーパーの折り込み広告は、『お盆のご馳走』と銘打ってちょっと豪華版の焼き肉の食材やら、お惣菜や寿司や鰻などで賑やかになります。

でも、我が家は普段とあまり変わらない食卓でした。

月に何回か、ベーカリーのパンを買いにいきますが、さすがに、小麦粉などの材料の高騰の影響が目に見えてわかるようになってきました。

潔く値上げしているお店もあれば、商品を小さくして、プチパンとして1.5倍ぐらいの量にまとめて袋詰めして2倍の価格になっているとか、お店も大変だなあ‥と思いました。

有名なベーカリーだと、たまにしか買わないし、元がそこそこお高いので、少しぐらい値上げしても、そんなもんか‥と思ってしまうけれど、スーパーなどに入っているお安めのパン屋さんは、ちょっと大変だろうなあ‥と思います。

このお盆休みは、台風やら猛暑に挫けて、スーパーのパン屋さんのパンでランチにしました。

近所のスーパーのパン屋さんですが、頑張ってます。↓

これ、全部1つが94円。

たまたまこのスーパーにとって特売日に行ったので、安かったのかもしれませんが、

美味しくいただきました。

ちなみにうちでは、パンは4等分ぐらいにカットして大皿で出します。

そうすれば、色々な種類を食べることが出来ます。

息子達が、一人暮らしをする前は、こんな感じでもう一皿ありましたが、夫婦2人では、この量でも持て余すようになりました。

 

お隣さんは、今年もお孫ちゃんがやってきたようで、時折ドタバタ走り回る足音やら子供の声が聞こえてきます。

きっと保育園状態で、大変ながらも、楽しいひとときを過ごしているんだろうなあ。

うちもあと何年かしたら、同じように保育園状態になるかなあ‥。

そうしたら、スーパーの折り込み広告のようにお盆のご馳走様並べて‥なんて妄想を今年もしています😊。

 

残暑お見舞い申し上げます。

暑い😵。

今年は、6月下旬から一時体温並みの猛暑日が続き、嫌いな夏が早くやってきて、ちょっと損した気分。

その後、過ごし易い気温の日も多少あったものの、猛暑と週替わりで線状降水帯の集中豪雨の大雨の被害があちこちで起きている。

当地は、降りそうで降らなくて、埼玉の北や西では雷雨になっても何故かここは避けていく。

夕方の水撒き、特に玄関側は水道がないのでバケツでの水撒きが、(夫の)日課になっている😁今年の夏。

 

我が家の夏といえばこれ。↓

ヒムロットという、シャインマスカットの出来損ないみたいなルックスのぶどう。

でも、すごく甘くて美味しくて、私の1番のお気に入り。

熟すと、房からポロポロと実が取れ易いので、世間にはあまり出回らない。

しかも、旬が短くて暑い年は2週間ぐらいで終わってしまう。

今年も早速、車で30分ぐらいのところにある、ぶどう農家の直売所へ行ってきた。

今年も1kg800円。

例年なら、3kgは買うところだけど、今回はとりあえずこの1kg パック。

このぶどうが大好きな次男は、今年はこのぶどうの旬に帰ってくるか、まだ決まっていない。

タイミングが合わなかったら、郵送で手配してあげるつもりだけど、子供が大きくなるって、こういうことなんだなあと、思う。

 

 

先週は長男が一足早い夏休みで帰省した。

今まで、結婚とか、彼女‥の話は上手にスルーしてきた長男君。

今回は彼女がいることを遂にカミングアウトさせた😁。

『良かったあ。ホモ(死語?)じゃなくて。今流行りのサル痘貰ってきたらどーしようかと思った‥。』なんて、親のセリフかい‥と、ひとしきりバカ話で盛り上がったのに、新たな心配ごとが‥。

長男は結婚願望がないと常々言っていた。

会社の先輩達や、大学時代の同級生達など、数年前にバタバタと結婚して、彼は、結婚式披露宴参列貧乏になっていたのに、世間の割合通り、早くも3割が既に離婚したり協議中。

会社の先輩から「養育費が〜」なんて話をさんざん聞かされているとみえ、『結婚は人生の墓場だ。』と、平然と言っていた。

それなのに、最近彼女から『結婚したい圧』を感じると言う。

彼女は同い年で、スポーツジムで知り合ったんだそう。

結婚願望がないとさんざん言っていたのに、押し切られて付き合い始めていたらしい。

で、この春、彼は姫路に転勤になったので、節目でもあるし、アラサーという年齢なので、彼女が結婚を意識するのも当然のこと。

彼女のことを紹介されたわけではないので、どんな人だかよくわからないけれど、この状態じゃ、客観的に見ても彼女がかわいそうだと思う。

結婚を考えられないのなら、別れるべきだし、一緒に居て心地よい人ならば真剣に考えるべき‥と、夫も私も彼に意見して送り出した。

 

何事も適齢期ってあると思っている。

結婚は勿論のことだけれど、仕事だって勉強だって、振り返ってみると、結局頑張るべき時頑張るのが、1番効率的に結果を手に入れることが出来るし、その後も何かとスムーズに運ぶと思う。

年齢的には、長男も彼女もまさに適齢期。

でも、家庭を作るという意識、気概は長男に関してはちょっと心許ない。

長男は、同世代の中では、給与は恵まれている方だと思うが、有ればあるだけ使ってしまうタイプで、貯金もちゃんとしているのかかなり怪しい。

精神的には、まだ適齢期とは言い難い気はするけれど‥。

 

正式に紹介されたわけではないし、強引に聞き出したような感じだったけれど、

親としてはあれこれ勝手に悩んでモヤモヤして、ただ暑いだけの今年の夏😮‍💨。

友人から、残暑お見舞いLINEがきて、暑中お見舞いの季節が過ぎていたことに気がついた。

 

 

人生最大のピンチだった‥と思う話。

今週のお題「人生最大のピンチ」

 

過去にも一部をブログで書いたことがあるけれど、今思い返すと人生最大のピンチだったと思ったのは、息子達の転校やらその後の夫の大病のあの数年間。

もうあれから16年も経ち、困った時だけの神頼みなのに、助けてくれた神様、ありがとうございます‥としみじみ思う。

 

16年前、大阪で暮らすことになった。

息子達は当時中2と中3。

久しぶりの転居を伴う転勤。

埼玉から大阪への異動で、息子達の学校のことを思うとさんざん迷ったけれど、人生の長いスパンで親子が家族として暮らす期間って意外と短いと思っていたから単身赴任は勿体ないし、息子達も大阪なら‥という雰囲気だったし、どこぞの立派な大学の付属校に入っている訳ではないし‥と、家族帯同で、大阪へ引っ越しをした。

大阪での生活は、それぞれが充実していたように思う。

ただ長男だけは、ちょっと大変そうだった。

転校先の中学校が、彼の学年だけが酷い荒れ方をしていて、先生方も手を焼いていた。

関東からの転校生で、目立つタイプの長男にとっては、更に大変だったと思うが、スポーツではチヤホヤされていたようで、なんとか乗り切って迎えた中学校の卒業式の1週間前のこと。

4月から入学する高校の制服採寸や、説明会から帰宅すると、『本社に転勤内示が降りた。』と、夫から電話があった。



何で、1年で異動?

夫の異動のサイクルは今まで4年から6年だったので、息子達は大阪で高校生になって東京の大学を受験すればいい‥と、大雑把な見通しを立てての転居だったのに‥。

自宅は賃貸に出していたし、長男は高校入試が終わった途端に埼玉へお引越しの憂き目。

タイミングが悪く、高校入試は埼玉は早く大阪の方が遅かったので、埼玉の高校の入試は全て終わり、2次募集の受験も締め切った後だった。

経済的には最悪な逆単身赴任も覚悟したが、仕事関係のツテで、某私学の2次募集を受験出来ることになり、何とか合格することが出来て、ホッと一安心。

自宅は賃貸に出して契約期間が残っていたので、自分で家探しをするハメになったり‥と、一気に大変なことが押し寄せてきた感じだった。

もし、長男が埼玉の高校へ決めることが出来なかったら‥経済的にはかなりのピンチになっていたし、学校のレベルを無視して何処でもいいと押し込んでいたら、プライドが高くてええカッコしいのくせに、環境に染まりやすい長男にとっては、一生に禍根を残すような真のピンチだったなあ‥と、心から思っていた。

 

そう、何で1年で、異動に?

直属の上司は、年齢的にも、自宅がある地に戻れる異動なんだからラッキーだというスタンスだったけれど、夫は思い当たる節があったという。

当時、仕事の担当は大阪、京都地区で、やっと顧客に馴染んでもらいこれから‥という時に、四国の一部エリア担当を打診されて、断ったとのこと。

支店の統廃合で、四国エリアも加わって数年経っていたが、上手くいっていなかったらしい。

そこで、白羽の矢が立ったようだが、本人はもっともらしい理由を付けて拒否。

でも、最大の理由は、このエリアの担当になったら、毎週飛行機に乗って高松入りして平日はホテル暮らしをしなくてはならなかったから。

しかも夫は、高所恐怖症だし飛行機が大の苦手。

歴代の担当者達は、プロペラ機で揺れるし、酸素マスクが降ってきた経験があるとかなんとか‥武勇伝?を語る人も居たし‥。

とにかく毎週飛行機で往復するストレスに耐えられないというのが本音だった。

でも、拒否が通る甘い会社ではないので、異動になったと想像していた。

大阪、京都担当は、歴史、神社仏閣が大好きな夫にとっては、大変だったけれど楽しい仕事でもあったので、後ろ髪を引かれる思いで、本社に異動した。

 

でも、最大のピンチはこれからだった。

夫は当時、仕事の忙しさと不摂生が祟って、自分史上1番太っていた。若い時と比べて15kgの体重増で、顔も丸くなっていた。

そのせいか、本人も一緒にいる家族も全く気がつかなかったが、実は首のリンパ節が腫れていて、怖い病気が潜んでいた。

すぐ近くにあるピンチに全く気がついていなかったが、偶然がピンチに気付かせてくれた。

引っ越しやら、転校などの手続きで、バタバタしていたある土曜日。

次男が耳鼻科の診療を受ける必要に迫られ、転居先の土地勘がなかったので、駅前の総合病院へ連れて行こうと思っていた。

そこへ、市役所から連絡で次男の転校の手続きに漏れがあるので、出来れば今日来て欲しいとのこと。そこで、次男の耳鼻科は急遽夫が付き添うことになった。

次男の診察は、あっという間にに終わったものの、お医者さんは、『お父さんは、付き添いだけですか?』

その時点で嫌な予感はあったらしい‥。

耳下腺あたりが腫れているような気がしていたし、せっかく病院に来たからついでに一緒に診てもらおうと思いたち、診察を申し込んでいた。

程なく、夫の順番となり、ものすごく混んでいた総合病院なのに矢継ぎ早に検査入院の予約が入り、病名はその時点では分からなかったけれど、恐怖の闘病生活の幕開けとなってしまった。



夫が自覚していた耳下腺の腫れ、痛くも痒くもなく、でもなんか腫れているよね‥というその腫れは、喉に出来た怖いデキモノが首のリンパ節に転移していたものだった。

リンパ節に転移しているので、ステージ4。

しかもお医者さん、『あとひと月受診が遅れていたら、ホスピスしか紹介できませんでした。』なんて言ってくださる。

もしも、あのまま、大阪に居たら‥。

担当替えがなくても、四国の担当になっていても、痛くも痒くもない耳下腺のちょっとした腫れの存在なんてすぐに忘れて、充実していたかもしれないけれど忙しくて不摂生な毎日を送っていたと思うと、怖すぎる。

そのあとは、放射線治療、外科的な治療‥と、多分治療のフルコースを経て健康を取り戻した。

治療そのものは、やはり過酷で、本人は今となってはあまり記憶がないほど辛いものだったらしい。

勿論、家族もしんどかった。

『命だけは取らないでください』と、神頼みの毎日だった。

偶然が重なって、病院へ導いてもらって、夫にとって人生最大のピンチから救ってもらったし、私にとっても、自覚していないかもしれないけれど息子達にとっても人生最大のピンチだった思う。

なので、あんなにすごい最大級のピンチを味わったので、もう酷いピンチはやって来ない‥と、ノー天気に思うことにしている。

名古屋往復の備忘録。

かなり悩んだけれど、名古屋まで行ってきました。

93歳のちょっと心も身体も弱ったお年寄りに会いに行く以上は、コロナをお持ち込みしないように、私なりに気をつけて、埼玉から名古屋を往復した備忘録です。

コロナ禍が過去のものになった数年後には大げさだよね‥と、笑われるかもしれません。

 

arakannkoala.hatenablog.com

 

とにかく極力空いた電車に乗る!これしかありません。

先週の金曜日の朝9時半過ぎ、我が家を出発しました。

私鉄の最寄り駅からJRの上野東京ラインに乗り換えて、東京駅に向かいます。

首都圏では、特に埼玉栃木群馬県民には、お馴染みの宇都宮線高崎線

東京駅まで直通運転してくれるのが、上野東京ラインです。

勿論、これに乗って東京まで行くのですが、『短い10両編成』に乗ってしまうと結構混んでいるのです。

15両編成の1番後ろならこの時間はまったり座っていけることが多いのです。
案の定、10両編成が続き、15両編成が来るまで20分ぐらいホームで、電車を見送りました。

名古屋の弟には、10両で短いってなんじゃそれ‥と言われましたが。

 

 

無事に東京駅に着きました。

隣のホームには、伊豆方面に行くサフィール踊り子号が停車していました。

今回、この電車は全く関係ないのに、思わず写真を撮ってしまいました。

ちらりと見た感じでは、ほぼ満席でした。

きっと予約した時点ではここまでコロナが拡大するとは思わなかっただろうし、このタイミングで遠出するお仲間のような気がして、なんとなくホッとしました。

私も、いつかこの電車で伊豆に行きたいなあ。

 

 

東京駅でお土産を買ってから、新幹線の切符を購入しました。

今は事前にスマホから指定席の予約ができるし、駅の券売機でも指定席を取ることができますが、みどりの窓口に向かいました。

平日のお昼近くの新幹線なら空いていると、期待していました。

平常時の旅行なら、こんなもったいない時間の使い方はしないですよね。

切符のオーダーは、『のぞみで名古屋まで。隣に人が居ない席ならば、富士山側、海側の席のどちらでもいいです。』

予約時点で、隣の席に人が居ない席にということになりますが、無事にゲット。

品川、新横浜で隣に乗ってこなければ、名古屋まで、1人で一列、独り占めです。

幸い、独り占めすることが出来て快適に過ごしました。

この日は東京で感染者が3万人超えで毎日最多記録更新している状態でしたが、私が乗った車両は、一列に1人または1組は座っている状態でした。

乗車率では50%弱ってことになるのかな。

 

 

名古屋に着きました。

ここからは名鉄に乗り換えました。

私の弟が、上野東京ラインの『短い10両編成』って、なんなんだよ‥と、言った気持ちがわかるほど、名鉄は4両編成とか6両編成で、私の目には短く見えました。

最寄り駅からは、義妹に車で迎えに来てもらっていたので、無事に到着です。

自宅から、マスクは一度も外さない‥と決めていたので、昼食は抜きになってしまいました。

新幹線に乗ったら、車内販売のカチコチのアイスクリームを食べたいなあ‥という誘惑はあったのですが、93歳のじいちゃんにコロナをお持ち込みしたら大変‥と、我慢。

公共交通機関は換気システムはバッチリだそうなので、きっと大丈夫と思いこんで名古屋入りしました。

ただ、朝の9時半過ぎから、到着の14時過ぎまで、お茶すら飲まなかったので、完全な水分不足になっていたようです。

久しぶりの新幹線ということもあり多少の緊張感もあって喉の乾きは感じていなかったのですが、その日の夜、お布団の中で、両足のこむら返りを初体験。

1人密かに悶絶し、翌日からは、意識してお茶を飲みまくり、何とか解消しました。

 

 

 

何だかんだと言っても、楽しく3日間を過ごし、埼玉へ帰る日曜日になりました。

帰りは、弟夫妻に車で名古屋駅まで送ってもらいました。

名古屋に来たからには、せめて味噌煮込みうどんを食べていきなよ‥ということで、少し早めのランチにしました。

この店のこの支店なら、味噌煮込みうどんの有名店なのに意外と空いているという穴場だというお店に入りました。

それでも店内は半分近く席が埋まっていましたが、まったりお食事をしました。

味噌煮込みうどん、蓋は取り皿にするんだそうです。

美味しゅうございました😊。

 

帰りの新幹線も行きと同じオーダーで、『のぞみで東京駅まで。隣の席が空いている』という条件で指定席をとりました。

今度は先頭車両で、ホームの端までたっぷり歩きましたが、また、1列独り占めで快適でした。行きも帰りも海側の席だったので、富士山が見えなかったのは残念でしたが、海を見たのもかなり久しぶりだったので、満足です。

新幹線は、警備員さんが巡回してくれるようになったんですね。

久しぶりの新幹線はとても快適であっという間に東京に着きました。

あとは、勝手知ったる帰り道。荷物も重いし、のんびり空いた電車を選んで、帰宅しました。

 

  ❤️❤️❤️❤️❤️❤️❤️❤️❤️

名古屋のお土産。

久しぶりに新幹線の距離の移動で嬉しくなって(笑)、気がつくと、ずっしり重いお土産を買っていました。

伊勢虎屋生ういろ。

これ、夫の大好物なんですが‥。

賞味期限が翌日までなのに、夫婦2人なのに、調子に乗って買い過ぎました。

帰宅後は、『ういろう地獄』と化しました(笑)

 

 

しるこサンド

弟が用意してくれたのですが、少し前にドラマ(最高のオバハン中島ハルコ)にこの商品が登場して(東海地区だけかな?私はそのドラマを観ていなかったのですが😅)

結構人気商品で、品薄なんですって。

名古屋人、一押しのお土産だそうです。

ビスケットのしるこサンドのメーカーの品で、ソフトタイプのしるこサンドといった感じです。美味しゅうございました😊

 

 

あんびすきゅい。

こちらも生しるこサンドと同じメーカーの品です。

ビスケットでクリームをサンドしたお菓子ですが、ホロホロ崩れていくような口溶けで、お供はお茶でもコーヒーでも紅茶でもオッケーという感じです。

あん‥と名前に入っているけれど、あんこは入っていませんが、美味しゅうございました😊

じいちゃんに会いに名古屋へ。

先日、弟夫妻より、じいちゃんの圧迫骨折の連絡を貰い、色々と連絡を取り合ううちに、かなりヤバいことになっていそう‥と感じていました。

じいちゃんは私の実父で93歳。

東日本大地震前年に東京の家を畳み、名古屋に住む弟夫妻と同居をしています。

93歳になるまで介護保険のお世話になることもなく、自分の足で歩き食欲も旺盛で元気いっぱいなじいちゃんだったのですが、この圧迫骨折は老いの階段を猛スピードで駆け上がるキッカケになってしまったようです。

気力を失っているようにも見えるので、是非会いに来て‥とのことですが、折りしもコロナ第7波で連日感染者が爆上がりの毎日。

うちからは新幹線の距離なので、コロナをお持ち込みしたら大変だし、コロナに対する姿勢は、家庭環境、住んでいる地域でその常識は大きく違うと感じることも多いし‥。

しかも行くか否か、さんざん悩み、先週の金土日でお邪魔するというスケジュールをたてたら、連日コロナの感染者は絶賛爆上がり中で、東京では連日3万人超え‥。

さすがに3回目のコロナ禍のマスクの夏なので、かつてのような行動制限はない代わりに、それこそ個人のコロナに対する考え方での自己責任。

身体が弱っている老人のいるところに行ってもいいのかなあ‥と、悩ましく思いながら、新幹線の時刻を調べたり、準備をしたり‥で、直前までウジウジしていました。

 

 

 

で、結局、極力空いた電車を選びまくり、思いきって名古屋へ行ってきました。

弟夫妻の家は、名古屋駅より名鉄に乗って少し郊外の住宅地。

完全な車社会という感じの場所ということもあり、最寄り駅まで義妹が車で迎えに来てくれました。

じいちゃんに会ったのは、約8ヵ月ぶり。

前回会った時は甥っ子君の結婚式の席でした。

その時はしっかり自分の足で歩き、お食事もしっかり平らげ行動は多少スローモーだと思ったものの歳を考えれば立派なものだと思っていましたが、この8ヵ月で、全くの別人になっていました。

一箇所、具合の悪い部分が出てくると、それを庇う為に違う場所に負担がかかり、また別の不都合が出てくる‥というような、まさに負のサイクルにはまってしまったようです。

当初は、腰が痛いから少し安静にすればよくなると言い張り、頑なにお医者さんを拒否。

結局、腰と首の圧迫骨折が判明し、本人はかなりガッカリしたようです。

でも、やっと介護保険の認定を受けてくれる気持ちになったものの判定員さんの前では『大丈夫、出来る』の嵐。これって、結構『あるある』らしいけれど。

しかも、ひと月近く、散歩にも行かず座りっぱなしの生活をしていたので、お尻に褥瘡が出来ている雰囲気。

本人は、家の中で散歩していたと言っていましたが‥。

食欲も以前の半分ぐらいだし、ほおがこけて見えるほど急激に痩せていたし、やはり腰やお尻が痛いせいか、歩き方もぜんまいしかけのおもちゃみたいなチョコチョコ歩き。

ああ、もうこれでは新幹線に乗ってお墓参りにやってくるなんて絶対に無理だろうなあ‥と思わせるほどの変わりように内心とてもショックでした。

義妹は、自分の祖母、両親を既に見送っているので、この状況に危機感を持ち、更にこのご時世で、万が一入院なんてことになったら、面会もできないままお別れ‥ということも心配していたようです。

 

結局、弟夫妻の家に滞在中は1歩も外に出ることなく、じいちゃんの部屋に入り浸っていたり、夜は弟夫妻とまるで修学旅行の夜(笑)。

リビングで夜ふかしして楽しく喋っていた3日間を過ごしました。

義妹には、じいちゃんは元気が出たみたいと言ってもらえて少しホッとしたものの、何だか複雑な気持ちの3日間でした。

ある程度、年齢を重ねると、ほんの些細なキッカケでどんどん動けなくなっていくんだなあ‥というのを目の当たりにしました。

後からコロナ第7波のピークだったけれど、最後に名古屋に行って会えて良かったね‥なんてことにならないようにと、寂しい気持ちで祈っています。

 

 

それは急にやってきた?

最近、ちょっと心配なことが現実的になってきた。

私の実父93歳のこと。

じーちゃん(私の実父)は、弟ファミリーと名古屋で暮らしている。

東日本大震災の前年に弟ファミリーと同居するために、東京の家を畳んで名古屋へ引っ越している。

実母は60台で病で亡くなり、月に数回じーちゃんの様子を見に行っていた私は、親戚知り合いの殆どが東京在住なのに大丈夫かな‥と、思っていたが、地域の老人会に入り、貴重な男性会員ということもあり『人生最大のもて期』迎え(?)、それなりに楽しく過ごしていたようだ。

直近で、じーちゃんに会ったのは去年の11月、甥っ子君の結婚式。

その時も93歳にして自分の足でしっかり歩き、食欲も旺盛で、会話もしっかりしていたので、コロナが落ち着いたら東京駅まで迎えに行ってあげれば、また新幹線に乗ってお墓参りを兼ねて上京できるかな‥なんて思っていた。

 

ところが、老いというのは急にやってくるらしい。

弟夫妻より、連絡があり、腰と首の圧迫骨折が判明したとのこと。

圧迫骨折と聞くと、動けないのかなあ‥というイメージなんだけれど、確かに、布団から立ち上がるとか、しゃがむ‥というような姿勢はかなり辛そうにしているとのこと。

また、自分の部屋のシャッター雨戸の開け閉めはかなりきつく、代わりにやってくれ‥とお願いしてくるという。

それなのに、日課の散歩や、1時間かけての入浴も今まで通りこなせてしまうらしい。

そう聞くと、ホントに骨折しているの?なんて思ってしまうけれど‥。

当のじーちゃんも、酷い腰痛も歳だから仕方ないという認識で、頑なに医者に行くのを拒んで、結局1か月近く、安静にすればそのうち良くなるという態度だったらしい。

それが、弟がギックリ腰になってしまい、急遽病院行くことになった時、一緒に行きたいと言い出して、圧迫骨折が判明したという顛末だった。

実は1番危惧していたのが義妹で、彼女は3世代同居の家庭に育ち、祖母と両親を既に見送っている。

彼女の目には、圧迫骨折に見えていたようだし、自分の祖母や両親の老いのセオリーを見ているので、次に起こることが予想出来るからこそ、口煩く医者に行こうと勧めていたようだった。

一方のじいちゃん自身も私も弟も核家族として過ごしてきた。

だから、『人の老い方』は、じーちゃん自身にもお手本がないので、義妹がいなかったら、酷い腰痛も歳のせいで、本人が頑なに医者に行きたくないのなら、無理して連れていかなくてもいいかなあ‥なんてことになっていたと思う。

更にショッキングだったのが、フルーツヨーグルト、レンチン事件。

何を思ったか、フルーツヨーグルトをレンジにかけて、牛乳の凄い臭いが充満するなか、お粥と言い張って意地になって食べていたんだそう。

正直なところ、義妹との関係性が良くないのは、たまに会うだけでも感じるけれど、私が義妹の立場だったら、遠慮がない分、もっと酷いことになっていそうな気がする。

義妹曰く、このところ、食べ方もだらしなくなってきたし、怒りっぽいし‥とのこと。

足の爪が巻き爪な上に、酷い腰痛(圧迫骨折だったけれど)で、変な姿勢で爪切りをして血だらけになっていてもしれっとしているとか、ヤバい気配を感じている様子。

義妹には、このまま放置すると、大好きなお風呂も介助なしでは入れなくなるし、あの食べ方では誤嚥性肺炎で命を落とすかもしれないし‥と、彼女の見てきた老いのセオリーに当てはめると、心配事しか見えてこないようだ。

そこで、『介護保険』の認定を受けてもらおうと思ったようなのだけれど、じーちゃん激怒。

ええ、まだ認定を受けていなかったの?

 

実は、このコロナ禍で、老人会が中止になったり、活動の頻度がかなり減っていたので、機能維持の為のデイサービスに行く為に介護認定を受けてもらうという話が出たのは1年以上前。

本人にとっては、93歳で介護保険のお世話ならずに自立しているのが自慢のようだし、デイサービスにマイナスイメージを持っているようで、頑なに拒否していた。

そこで、私はメールや電話で、活動が減った老人会の穴を埋めるつもりで、デイサービスを利用することや、嫌なら認定だけ受けて利用しなくてもいいことや、我が家で同居していた義母は、楽しみに通っていた話を、何度もして、わかってくれていた雰囲気だったんだけどなあ。

弟夫妻の話を聞くと、この数ヶ月で、老いの階段を数段飛ばしで登ってしまった感じがする。

とりあえず、認定だけでも受けておかないと‥という弟夫妻の焦りは良くわかる。

近々、名古屋へお邪魔して、じーちゃんの様子を見に行きたいし、弟夫妻の援護射撃が出来れば‥と思っているが、なんだか気持ちが重い。

多分、『老いのセオリー』を見てきた義妹が1番正しい見方をしていると思うけれど、じーちゃんにとっては、弟や義妹も敵対している雰囲気で、更に埼玉から新たな敵がやってきたと思わせたら、余計に意固地にさせてしまうだろうし、待ったなし感は感じるし‥。

何だかどよんとした気持ちになってしまっている。

 

バジルの花

 

夏の虫達。

6月の下旬より続いた体温並みの猛暑もやっと落ちつき、30℃以上の蒸し暑さでも何だかホッとしています。

昨日は、暑さに負けて3週間以上サボっていた草むしりを頑張りました。

時々雨粒が落ちてくる梅雨のような天気でしたが、強い日差しがない分、楽に感じるほどです。

今年はまだ蚊に刺されていません。

夏はほぼ毎日蚊取り線香を焚いていたほどでしたが、昨年は玄関側の花壇がミントの大増殖のおかげで、他の花は駆逐されてしまいましたが、蚊除けの効果を実感しました。

今年は、敢えてミントやハーブ類のにおいのある植物を植え、オシャレさには欠けるけれど、その効果なのか、蚊の姿をまだ見ていません。

玄関のドアにも、吊り下げ型の虫除けをぶら下げているので、その効果が大きいのかもしれません。

近隣に藪蚊の宝庫の雑木林が残っていることもあり、夏のにおいイコール蚊取り線香という感じだったので、蚊がいないというのは、ちょっと嬉しくなります。

一説によると、蚊も35℃以上の猛暑になると、暑過ぎて動けないんだとか。

 

我が家は幹線道路から離れていることもあって、とても静かな環境です。

ただ夏になると、虫の大合唱が響きわたります。

夏イコール蝉時雨という環境なんですが、今年はまだ蝉の声をきいていません。

もっとも、まだ7月に入ったばかりだし、6月の下旬が例外的な猛暑だったからといって、前倒しでセミも羽化出来るというわけではない‥ということですね。

気持ちの上では盛夏だったので、蝉時雨がないことに違和感を持っていました。

暑いだけの夏というのも、何だか気持ち悪い感じがしますね。

 

昨日の草むしりでは、珍しい虫に出会いました。

梅雨時に水溜まりがあると何処からかわいてくる、あめんぼ。

もちろん、連日の猛暑で水溜まりなどないのですが、庭木の日陰になるところに5、6匹潜んでいたようです。

近くに生えている草をむしったところ、あめんぼが驚いて一斉に飛び立ち、お互いにびっくりしたという訳です。

カブトムシとかトンボなど、子供に人気のある虫なら、かつて一緒に探した経験があっても、あめんぼなんて全然興味はありません。

でも水溜まり以外で見たのは初めてだったので、誰かに喋りたい気分にもなりました。(でも、だから何?という話ですね‥)

庭には相変わらず、わらじ虫(丸くならないだんご虫)が、いっぱいいました。

芋虫などの害虫も今年は今のところ少ないようです。

柚子やキンカンなどの柑橘系の木につく芋虫はアゲハになることがわかっているのであえて消毒せずに『野生の王国状態』にしていますが、今年は、小さな青虫もあまり見かけません。

一方、クチナシにつく、青虫君。

こちらはオオスカシバというおデブなスズメバチのような容姿の蛾になることを知っているせいか、幼虫時代はアゲハの青虫と似ているくせに鳥肌が立ってしまいます。

 

我が家で唯一家の中への侵入を許しているのがハエトリグモ。

1cmぐらいの体長で、巣を張らず、ピョンピョンはねるクモの仲間です。

何故か、毎年決まった場所に出没するのですが、数年連続で息子達の学習机付近に住み着き、夜になるとつがい?で、出没していました。

うちでは、ハエとか蚊を捕まえてくれたり、万が一ゴキブリに侵入されても小さなうちは捕まえてくれる益虫という座に君臨しています。

家族全員苦手なゴキブリも、今のところ出没無しの平和な毎日が続いています。

 

一人暮らしをしている次男より、1枚の写真がLINEで送られてきました。

部屋の片隅に黒い何かが写っているのですが、被写体が小さいので写真では何だかわかりません。

でも、一緒に写っているかもいの幅と比べると、結構な大きさの黒っぽい生き物。

あまりの猛暑に、入居以来一度も洗っていないラグを洗濯し、ベランダに干して数時間で綺麗に乾き部屋に取り込んだところ、その黒っぽい生き物をラグと一緒に取り込んでしまったんだそうです。

捕まえて外に出すつもりだったそうですが、若い男性の一人暮らしの部屋に捕虫網があるわけでもなく、とても素早くて捕獲を諦めて同居する決意を固めたんだとか。

その黒っぽい生き物とは、アシダカグモ

身体はさほど大きくはないのですが、手足が長く、パッと見ると手のひらサイズ。

こんなクモに家に入りこまれたら恐怖でしかないと思いますが、彼の周りには意外と遭遇した人が多く、『これが噂のアシダカグモか‥。』という気分なんですって。

怖い見た目だけど、実は臆病なクモで、人間を見たら、クモの方が逃げてくれるんだとか。

巣を張ることもなく、素早い動きででっかいゴキブリも簡単に捕食してくれる頼もしい益虫で、人間が攻撃しない限り噛んだり刺したりしないし、人に懐くこともあるとか‥。

なので、無理に捕まえて追い出さずに同居を決意したらしいのだけど‥。

翌日には居なくなってしまったんだそう。

アシダカグモは、エサが居ないと自分から出ていってくれるそうで、次男も大の苦手なゴキブリが居ないってことだよね‥と、喜んでいました。

逆に言うと、アシダカグモがいつまでも居る家というのはゴキブリの宝庫でもあるわけで、それって想像するだけでも怖すぎますよね。

我が家では、絶対に出会いたくないクモです。

恐怖のアシダカグモ、見ますか?

ネットより写真をを見つけてきました。

怖‥。閲覧注意です。

 

 

 

 

 

 

 

イカリ消毒さんのホームページより、画像をお借りしました。